「パヴェル・ヴェイヴァノフスキー」の版間の差分

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'''パヴェル・ヨセフ・ヴェイヴァノフスキー'''('''Pavel Josef Vejvanovský''', *[[1633年]]ごろ [[モラヴィア]]の[[フクヴァルディ]] - †[[1693年]][[6月24日]] [http://www.mufti.cz/anone/zobraz.php?id=B1h クロミェジーズ][Kroměříž])は[[ボヘミア]]の[[作曲家]]・[[トランペット]]奏者・合唱[[指揮者]](聖歌隊長)。
 
== 生涯 ==
[[1656年]]から[[1660年]]まで[[オパヴァ|トロッパウ]]の[[イエズス会]]系[[神学校]]に学び、その地で[[ハインリヒ・ビーバー]]と親交を結ぶ。[[1664年]]に[[オロモウツ]]の[[大司教]]、カール・リヒテンシュタイン=カステルコルン([[1624年]]~[[1695年]])の宮廷に伺候し、クロミェジーズにおける夏の離宮において、[[1670年]]までビーバーが指揮者を務めた楽団で演奏する。ビーバーがザルツブルクに去った後は、ヴェイヴァノフスキーが後任に納まり、没年までその任に当たった。公式には屋外管楽器奏者(Tubicen campestris)として雇われていたため、[[宮廷楽長]]としての称号を得てはいない。ヴェイヴァノフスキーは数ヵ国語を操り、貴重な蔵書を所有していた
 
== 作品 ==
こんにちまでに約100曲の作品が現存し、その内訳は[[ミサ曲]]、[[モテット]]、[[オッフェルトリウム]]、[[晩課祷]]、器楽曲である。現存作品の約半数はクロミェジーズ城の古文書保管所や[[プラハ]]国立博物館音楽部門に保存されている。管弦楽曲([[バレエ音楽]]、[[セレナーデ]]、[[ソナタ]])は、重層的な仕掛けが特徴的である。ヴェイヴァノフスキーの作曲様式は、[[ウィーン]]や[[ヴェネツィア]]の盛期[[バロック音楽]]の諸相を統合したものである。ヴェイヴァノフスキーの作品は、新鮮な旋律進行と引き締まった楽曲構成、巧みな[[管弦楽法|楽器法
]]ゆえに魅力的である。
 
ヴェイヴァノフスキーは数ヵ国語を操り、貴重な蔵書を所有していた。
 
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