「パテ (映画会社)」の版間の差分

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しかし[[1935年]]、パテは破産宣告された。会社の拡大を続けるため、パテの取締役会(シャルル・パテもその一員として残っていた)は1930年に1億500万フラン分の株式発行を決議していた。しかし不況の深刻化で株式のうち半分が売れ残った。パテはもはや買う余裕のない劇場チェーンの買収計画を進めねばならず、収益が上がっているにもかかわらずそれ以上の損失を出し続けた<ref name="Origins" /><ref name="History" /><ref name="Rooster" /><ref name="FirstWave" />。
 
パテの倒産でナタンはフランスの官憲の取り調べを受けた。ナタンは、担保もないのに企業買収のための資金融資を受けた疑い、ペーパーカンパニーを作って投資を呼びかけ集まった資金を踏み倒した疑い、怠慢から会社の経営ミスを引き起こした疑いで咎められ、さらに改名してルーマニアやユダヤの出自をごまかそうとしたとまでされた。ナタンは[[1939年]]に告訴され収監された。収監中の[[1941年]]にも告訴を受け有罪とされている。[[1942年]]9月に釈放されたが<ref name="Origins" /><ref name="History" /><ref name="Rooster" /><ref name="FirstWave" />、当時はすでにフランスは[[ナチス・ドイツ]]による占領下で、フランス当局はナタンを占領当局に引き渡し、彼はそのまま[[アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所|アウシュヴィッツ]]へと送られた。ナタンは同年もしくは翌43年にアウシュヴィッツで死亡したと考えられている
 
=== 戦後 ===