「新東宝」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
79行目:
倒産後、新東宝株式会社は清算会社となり、同社の配給部門を切り離し、同年[[9月1日]]に配給会社の[[大宝 (企業)|大宝株式会社]]を設立した。同年[[11月15日]]には、製作部門を切り離し、ニッポン・アートフィルム・カンパニー(NAC)を設立、新東宝株式会社は、3分割された。
 
配給会社大宝は、5本を配給したところで、翌[[1962年]](昭和37年)[[1月10日]]に業務停止になった。製作会社NACは、[[TBSテレビ|TBS]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の資本参加を得て、[[テレビ映画]]製作に乗り出し、[[1964年]](昭和39年)には、'''[[国際放映|国際放映株式会社]]'''と商号を変更した。国際放映は、旧「新東宝撮影所」の一部と、新東宝の作品の全権利を継承する後身会社である。かつて同社は、阪急東宝グループ(現・[[阪急阪神東宝グループ]]の一社で、[[ジャスダック]]上場企業であったが、東宝の[[株式公開買い付け|TOB]]で完全子会社化され、[[2011年]][[2月14日]]に上場廃止となった。
 
[[東京都]][[世田谷区]][[砧 (世田谷区)|砧]]にあった「新東宝撮影所」は、その大部分が[[日本大学]]に売却されて同商学部のキャンパスとなり、残部は国際放映に引き継がれ、同社のテレビ映画製作の拠点となった。[[1990年代]]以降はテレビ映画よりも情報番組のビデオ撮影が主流になったため、改築し、[[東京メディアシティ]]<!--(TMC。国際放映の自社スタジオのほか、賃貸テレビスタジオとしてTBS、フジテレビ、[[関西テレビ放送|関西テレビ]]が入居)-->と改称した。