「国有財産」の版間の差分

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== 沿革 ==
*(1) 第1期 創成時代(明治初年~明治22年)
 この時代は基本的な法制が整備されず、さまざまの個別法制が発達した時代である。明治2年の版籍奉還、廃藩置県及び翌3年の社寺領上知令により土地は王土、国土国有に復したが、同時に社会観念として定着しつつあった土地私有制度をも考慮し、明治5年2月太政官布告第50号をもって土地私有権が差し許され、土地売買の禁止が解かれ、同年4月大蔵省達第25号をもって地券渡方規則が定められ、土地の売買譲渡のつど地券を発行することになった。
 しかし、当時においてはなお漠然と官有地又は民有地と称するだけで官有民有の明確な土地所有区分の標準がなかったが、これを明確にしたのは明治6年3月太政官布告第114号の地所名称区別及び翌7年11月太政官布告第120号の改正地所名称区別で、その制定と同時に政府は全国にわたって実地調査を行い、民有の確認ができるものには地券を交付するとともに、民有の確認ができないものを官有地に編入し、ここに民有地に対する意味で官有地の観念が明確になった(注1)。
*(2) 第2期 官有財産管理規則時代(明治23年~大正10年)
 以上のようにして官有地と民有地との区別は明確になったが、官有財産の管理処分に関する法制はまだ整備されていなかった。ところが、明治憲法の制定に伴い会計制度の確立が不可欠の要請となったため、現金会計について明治22年会計法が、物品会計について同年物品会計規則が、国有財産会計について明治23年基本規定としての官有財産管理規則及び特別規定としての官有地特別処分規則、官有地取扱規則がそれぞれあいついで制定され、ここに国有財産会計は、勅令ではあるが準則をもつことになった。また、この時代には他の関係法令も整備された。明治29年河川法、同30年北海道国有未開地処分法、同32年国有林野法、大正8年都市計画法、道路法、同9年公有林野等官行造林法、同10年公有水面埋立法の制定などがこれである。
*(3) 第3期 旧国有財産法時代(大正11年~昭和22年)
 官有財産管理規則は勅令であり、また、総轄制度を持たないなどの不備があったため、その整備が要請されていたが、大正10年4月法律第43号をもって国有財産法が制定され翌11年4月から施行された。また、同法とともに、国有財産整理資金特別会計法が制定され、国有財産の整理処分収入をもって営繕費等に充当することとされたが、この制度は昭和18年まで存続した。
 旧国有財産法は施行以来大きな改正を受けず、国有財産管理の基本法としての役割を果たしたが、戦後現行憲法の制定とともに、新しい情勢に応ずる国有財産制度の確立が必要となったため、とりあえず昭和22年法律第53号及び第86号によって一部改正が行われた。
*(4) 第4期 現行国有財産法時代(昭和23年~現在)
 現行国有財産法は、戦後の新情勢に応じ、国有財産に関する根本的法制を整備するため内閣に設置された国有財産法制調査会において審議のうえ立案され、第2回国会に提出、昭和23年法律第73号として公布され、同年7月1日から施行された(注2)。
 また、同法と同時に「旧軍用財産の貸付及び譲渡の特例等に関する法律」が制定され、戦後の特殊事情に応じ、旧軍用財産の転活用を図るための特別措置が講じられたが、この法律は、昭和27年国有財産特別措置法の施行と同時に廃止され、内容的にはほとんど同法に吸収された。さらに、昭和32年には国の庁舎等の使用調整及び特定庁舎等の整備(立体化、再配置)を計画的に実施するため「国の庁舎等の使用調整等に関する特別措置法」が制定され、また、同時に「国有財産特殊整理資金特別会計法」が制定されて、特定庁舎等の整備計画の実施による不用財産の処分収入を整備計画実施のための財源として経理することとなったが、この二法は昭和44年に改正され、後者は「特定国有財産整備特別会計法」と名称変更された。