「中石器時代」の版間の差分

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:[[新石器時代]]
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'''中石器時代'''(ちゅうせっきじだい、Mesolithic<ref>この用語は、アフリカの有史以前の時代区分である[[中期石器時代]]を指す場合がある。</ref>)は、[[石器時代]]の[[旧石器時代]]と[[新石器時代]]との中間の期間にあたる。[[亜旧石器時代]]({{lang-en|Epipaleolithic}})とも呼ばれる。
 
== 名称 ==
この時代の遺跡は極めてまれであり、ほぼ[[貝塚]]に限られている。世界の森林地帯では、最初の[[伐採]]の痕跡が見つけられている。ただし伐採の本格的な開始は、農耕のための特別な土地が必要となった新石器時代初期であったと考えられている。社会の形態は[[狩猟採集社会]]であった。
なお、中石器時代」という名称の語源は[[ギリシャ語]]でμεσός (Meso, 中間)+ λίθος(lithos, 石)である。
ほとんどの地域の中石器時代は、小型複合[[燧石]]([[細石器]]と細刻器)によって特徴付けられる。漁労具、石製手斧、[[カヌー]]や[[弓矢]]のような木製品が、いくつかの遺跡で見つかっている。[[日本列島]]においては、[[細石刃]]の出現を指標とし、[[縄文時代]]の一部を中石器時代とする説もある。
 
== 概要 ==
なお、中石器時代の語源は[[ギリシャ語]]でμεσός (Meso, 中間)+ λίθος(lithos, 石)である。
社会の形態は[[狩猟採集社会]]であった。この時代の遺跡は極めてまれであり、ほぼ[[貝塚]]に限られている。ほとんどの地域の中石器時代は、小型複合[[燧石]]([[細石器]]と細刻器)によって特徴付けられる。漁労具、石製手斧、[[カヌー]]や[[弓矢]]のような木製品が、いくつかの遺跡で見つかっている。世界の森林地帯では、最初の[[伐採]]の痕跡が見つけられている。ただしが、伐採の本格的な開始は、農耕のための特別な土地が必要となった新石器時代初期であったと考えられている。社会の形態は[[狩猟採集社会]]であった
 
== 日本 ==
[[日本列島]]においては、[[細石刃]]の出現を指標とし、[[縄文時代]]の一部を中石器時代とする説もある。
 
== レバント地方 ==
'''中石器時代第1期'''([[ケバラ文化]]、[[紀元前20000年]]頃-[[紀元前12150年]])は、[[オーリニャック文化]]か或いは[[レバント]]人の[[後期旧石器時代]]に続く時代である。オーリニャック文化の終期までには、石器にゆるやかな変化が起こり、細石器と細石刃を初めて見出すことができる。現在では、細石器を伴う文化はオーリニャック文化から区分されている。
 
=== 中石器時代第1期 ===
紀元前20000年から[[紀元前18000年]]頃の気候と環境の変動により、過渡期が始まった。東地中海のレバント地方はより乾燥化し、植生は森林が後退し[[ステップ (植生)|ステップ]]に切り替わった。冷涼で乾燥した時代は、第1期の初頭に終了した。オーリニャック文化の狩猟採集民は、この変化に適応するため、これまでの生活手段を変更せざるを得なくなったと考えられている。新たな生活手段の結果、中石器時代第2期が始まった。新たな定住手法と新型の石器は発達した明確な特質を持っていた。
'''中石器時代第1期'''([[ケバラ文化]]、[[紀元前20000年]]頃-[[紀元前12150年]])は、[[オーリニャック文化]]か或いは[[レバント]]人の[[後期旧石器時代]]に続く時代である。オーリニャック文化の終期までには、石器にゆるやかな変化が起こり、細石器と細石刃を初めて見出すことができる。現在では、細石器を伴う文化はオーリニャック文化から区分されている。
 
レバント地方における第1期に属する小規模な遺跡の住民は、打製石器を遺している。その製品は、同一の石核から打ち出された細石刃で作られた小さい道具のものであった。更に、細石刃、彫器及び端削器が発見された。また、骨角器と台石も見つかっている。
 
=== 過渡期 ===
第1期から第2期への移行の時期は、かなり明確にすることができる。レバント地方における第1期遺跡の終末は紀元前12150年であり、第2期遺跡の始まりは[[紀元前11140年]]に遡る。しかしながら、他の遺跡においては[[紀元前8930年]]と[[紀元前8540年]]からと、より遅れて始まったことを示している。紀元前10世紀には、ケバラ遺跡([[紀元前9200年]])、[[エル・ワド洞穴]]遺跡([[紀元前9970年]]、[[紀元前9525年]])及び[[エリコ]]遺跡([[紀元前9216年]])の3つの遺跡に相当するようである。
紀元前20000年から[[紀元前18000年]]頃の気候と環境の変動により、過渡期が始まった。東地中海のレバント地方はより乾燥化し、植生は森林が後退し[[ステップ (植生)|ステップ]]に切り替わった。冷涼で乾燥した時代は、第1期の初頭に終了した。オーリニャック文化の狩猟採集民は、この変化に適応するため、これまでの生活手段を変更せざるを得なくなったと考えられている。新たな生活手段の結果、中石器時代第2期が始まった。新たな定住手法と新型の石器は発達した明確な特質を持っていた
 
=== 移行期 ===
'''中石器時代第2期'''([[ナトゥーフ文化]])は、[[紀元前11000年]]から[[紀元前9000年]]頃に[[パレスチナ]]と[[レバノン]]に出現し、第1期を引き継いだ。ナトゥーフ文化は[[テル・アブ・フレイラ]]遺跡(紀元前9050年頃)で野生の穀物の使用を開拓し、それは現在の耕作に発展する。ナトゥーフ文化の人々は食事を野生の穀物に依存し、定住生活を始めていたので、[[ヤンガードリアス]]と関連した気候の変化は、農業を発展させることを人々に強制した。この期間は、新石器時代に出現する農耕の早期の向上が特徴である。
{{Seealso|:en:Kebara Cave}}
第1期から第2期への移行の時期は、かなり明確にすることができる。レバント地方における第1期遺跡の終末は紀元前12150年であり、第2期遺跡の始まりは[[紀元前11140年]]に遡る。しかしながら、他の遺跡においては[[紀元前8930年]]と[[紀元前8540年]]からと、より遅れて始まったことを示している。紀元前10世紀には、ケバラ遺跡({{仮リンク|ケバラ文化|en|Kebaran}}、[[紀元前9200年]])、[[エル・ワド洞穴]]遺跡([[紀元前9970年]]、[[紀元前9525年]])及び[[エリコ]]遺跡([[紀元前9216年]])の3つの遺跡に相当するようである。
 
=== 中石器時代第2期 ===
== トゥールーズ自然史博物館所蔵「Théviec島の埋葬」 ==
{{Seealso|:en:Neolithic Revolution}}
 
新たな生活手段の結果、'''中石器時代第2期'''([[が始まった。新たな定住手法と新型の石器は発達した明確な特質を持っていた。{{仮リンク|ナトゥーフ文化]])|en|Natufian culture}}は、[[紀元前11000年]]から[[紀元前9000年]]頃に[[パレスチナ]]と[[レバノン]]に出現し、第1期を引き継いだ。ナトゥーフ文化は[[テル・アブ・フレイラ]]遺跡(紀元前9050年頃)で野生の穀物の使用を開拓し、それは現在の耕作に発展する。ナトゥーフ文化の人々は食事を野生の穀物に依存し、定住生活を始めていたので、[[ヤンガードリアス]]と関連した気候の変化は、農業を発展させることを人々に強制した。この期間は、新石器時代に出現する農耕の早期の向上が特徴である。
 
== ヨーロッパ ==
ヨーロッパにおける中石器時代は、[[更新世]]終期(約10,000年前)に始まり、農業の開始(世界の地域により時期が異なる)までで終わるとされる。[[近東]]地域([[地中海]]沿岸の[[シリア]]、[[エジプト]]、[[小アジア]]などの地域)では、更新世終期には農業は始まっていた為、中石器時代は短い、或いは無いと分類されており、一般には[[ヨーロッパ]]の西・北部の文化が典型とされている。
 
氷河が後退しはじめ気候が温暖になったため[[植物]]が繁茂し、[[動物]]が増えるなど、[[人間]]が[[採集]][[狩猟]]で食物を得やすくなった。
 
[[氷河]]の影響が限られた範囲であった地域では、[[亜旧石器時代]]という用語が好まれている。[[最終氷期]]の終了により、より劇的な環境変化の効果を経験した地方が、明確に中石器時代とされている。例えば、[[北ヨーロッパ|北欧]]の社会では、温暖な気候により形成された沼沢地帯から供給される豊かな食物により、安楽な生活が可能であった。このような状態により[[マグレモーゼ文化]]や[[{{仮リンク|アジール文化]]|en|Azilian}}のような物質的な記録が保持された特色ある人類行動が起こった。また、[[紀元前5000年]]頃まで新石器時代が到来することを遅らせた。
 
=== トゥールーズ自然史博物館所蔵「[[:en:Téviec|Théviec]]島の埋葬」 ===
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== ヨーロッパ ==
ヨーロッパにおける中石器時代は、[[更新世]]終期(約10,000年前)に始まり、農業の開始(世界の地域により時期が異なる)までで終わるとされる。[[近東]]地域([[地中海]]沿岸の[[シリア]]、[[エジプト]]、[[小アジア]]などの地域)では、更新世終期には農業は始まっていた為、中石器時代は短い、或いは無いと分類されており、一般には[[ヨーロッパ]]の西・北部の文化が典型とされている。
 
氷河が後退しはじめ気候が温暖になったため[[植物]]が繁茂し、[[動物]]が増えるなど、[[人間]]が[[採集]][[狩猟]]で食物を得やすくなった。
 
[[氷河]]の影響が限られた範囲であった地域では、[[亜旧石器時代]]という用語が好まれている。[[最終氷期]]の終了により、より劇的な環境変化の効果を経験した地方が、明確に中石器時代とされている。例えば、[[北ヨーロッパ|北欧]]の社会では、温暖な気候により形成された沼沢地帯から供給される豊かな食物により、安楽な生活が可能であった。このような状態により[[マグレモーゼ文化]]や[[アジール文化]]のような物質的な記録が保持された特色ある人類行動が起こった。また、[[紀元前5000年]]頃まで新石器時代が到来することを遅らせた。
 
== 脚注 ==