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[[画像:Flag of Bunyoro, Uganda.svg|thumb|right|ブニョロの旗]]
[[画像:Bunyoro (map).png|thumb|2001年から2005年のブニョロと県境]]
'''ブニョロ'''は[[ウガンダ]]西部の歴史的地域で、バントゥー系の[[ニョロ族]]の国を意味し、かつての[[ブニョロ=キタラ帝国]]([[:en:Empire of Kitara]])の直轄地の北西部に当たる。ブニョロ=キタラ帝国は神聖な王(オムカマ)により治められ、ナルバーレ(後の[[ヴィクトリア湖]])北西岸一帯を勢力圏としたが、[[ブガンダ王国]](現[[ブガンダ]])がバナナ栽培や象牙交易で繁栄すると勢力を削がれ、1830年代には南部が[[トロ王国]]として分裂し、イギリス勢の到来と共に南部をブガンダに奪われて、1896年にイギリスの{{仮リンク|ウガンダ保護領|en|Uganda Protectorate|label=ウガンダ植民地}}に組み込まれた。当時のブニョロ王のカバレガは再興を目指して度々蜂起し1876年にはトロを再併合するなどしたが、セメイ・カクングルらに破れ1899年ブガンダのカバカ(王)ムワンガ2世と共に[[セイシェル]]に流された。ブニョロの領域は「[[アルバート湖]]」東岸のみとなったが、ウガンダ独立後の住民投票によりムベンデ地方西部(後の[[キバレ県]])はブニョロに返還された。首都はホイマからマシンディ、ムパロへと移された。ブニョロの北は[[アチョリ地方]]、東は[[ランゴ地方]]、東南はブガンダ領となった。
 
[[ミルトン・オボテ]]政権時の1967年にブニョロは他の王国と共に王制を廃止された。ブニョロの北部はマーチソン滝国立公園が置かれていたが、[[イディ・アミン]]政権時代に[[カバレガ国立公園]]に改名された。1993年には文化的指導者としての王制が復活され、1994年にソロモン・ガフビサ・イグル1世が第49代(ビト朝第27代)オムカマに即位した。