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'''デヴシルメ制'''(- せい、[[トルコ語]]:{{lang|tr|'''devşirme'''}}) とは、[[14世紀]]ごろに成立した強制連行による、[[徴兵制度]]の呼び名。イスラーム国家体制と共に[[オスマン帝国]]の中央集権体制を支えた。デヴシルメとは、文字通り「強制徴用」を意味する。
 
[[アナトリア]]地方や[[バルカン]]地方に住むキリスト教徒の少年を定期的に本人や家族の意思を無視して強制徴用(デヴシルメ)し、イスラム教への改宗させてへと圧迫したうえで、オスマン朝の教育・訓練した。この制度は奴隷([[マムルーク]])を商人から買い、軍人化するイスラムの伝統の発展形で、デヴシルメ制によって徴用された者はスルタン個人の奴隷でもあった。
 
[[コンスタンティノープルの陥落|コンスタンティノープルの征服]]後は、軍人にとどまらずデヴシルメ出身者の中から、宮廷侍従や官僚、地方官として登用されるものがでた。
 
デヴシルメ制度は、キリスト教徒の子供を、本人の意思や家族の意思を無視して、オスマン朝の利益の為に、オスマン朝の強大な軍事力と支配を背景に、強制連行した制度であり、国家による人権侵害であった。強制連行後は、イスラームへの改宗を強制され、オスマン朝の利益の為に働くよう思考を方向付けるカリキュラムの元、教育がなされた。子供を強制連行された多くの親が、オスマン朝の支配の元積極的には抗議できないまでも、内心『子供を強制的に連れ去るオスマン帝国』への憎悪を抱いた。同時に、比較的多くのものがエリートとして登用され、大宰相さえ輩出したデヴシルメ制度は、当時の厳しい庶民の生活環境の中、またオスマン朝の鉄壁の支配という制度の枠の中、それ以外選択肢のない少なからぬ親にとって、子供の立身出世のための止むない道として、全面的にではないにせよ、時には憎悪や悲嘆と共存する形ではあれ、期待や肯定的な感情を持つことの出来るものでもあった。
 
== 関連項目 ==
*[[強制連行]]-[[盗まれた世代]]-[[日本人拉致]]-[[日本軍慰安婦]]
*[[カプクル]]
**[[イェニチェリ]]
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[[category:オスマン帝国の軍事]]
[[category:人権侵害]]
 
[[als:Knabenlese]]