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亡き先妻・周子は[[鳥取県]][[倉吉市]]出身であり、妻・葉子は鳥取県[[境港市]]渡町出身であることから、鳥取県にゆかりがある。<ref>『予算は夜つくられる』参照。なお、本書にはこうした相沢の長い主計局におけるエピソードが多く記録されている。</ref>
 
相沢によると、「[[1974年|昭和四十九年]]の六月二十八日、ちょうどまる一年めた[[事務次官]]を退官した時は、当初六年間の軍隊生活はあったものの、三十二年間勤めてきた[[大蔵省]]をいよいよ去るのかと思うと、無量の感慨が沸く思いであった。…(中略)…私は葉子の縁で、[[結婚]]以来とくに[[鳥取県]]の方々とは以前にもまして交流があるようになったし、[[山陰]]の人情、風光もすきだった。…(中略)…その年の十月末、私は葉子ともども[[米子市]]に住居を移すとともに、[[本籍]]を[[境港市]]に移した。[[鳥取県]]に骨を埋める覚悟を決めた」という<ref>『結婚してから八年め』104-105頁</ref>
 
大蔵週報に連載していたコラムを著書「読者諸賢いかに思われるか」として断続的に出版している。
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