「統子内親王」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
6行目:
* 『[[長秋記]]』『[[今鏡]]』等によれば、幼少時より並ぶもののない美貌の女性であったという。
* 母・待賢門院璋子時代からの家臣・[[女房]]らが仕えた上西門院統子の御所は、[[源氏]]・[[平氏]]双方の縁者が多く見られる一方、優れた[[歌人]]たちを輩出した文雅豊かな[[サロン]]でもあった。
* 後白河天皇がわずか1歳年上に過ぎない同母姉・統子を准母とした背景として、[[藤原得子|美福門院得子]]に対する対抗意識があったと考えられている。美福門院は皇太子[[守仁親王]](二条天皇)
* その准母にもなった同母弟・後白河天皇とは親しい仲で行動を共にすることも多く、彼女の死に際して後白河院は深く悲しんだと伝えられる。
|