「秩父重綱」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
34行目:
重綱の長男である[[秩父重弘|重弘]]は[[秩父神社]]系の秩父氏の姓を継承したが、家督を継ぐ事は無かった。その息子である[[畠山重能|重能]]、[[小山田有重|有重]]は、それぞれ'''[[畠山氏 (平姓)|畠山氏]]'''、'''[[小山田氏]]'''を称した。重能の息子が[[畠山重忠]]である。有重の三男の[[稲毛重成|重成]]は'''[[稲毛氏]]'''を、四男の[[榛谷重朝|重朝]]は'''[[榛谷氏]]'''を、五男の[[小山田行重|行重]]は'''[[森氏]]'''を、弟の[[田奈有朝|有朝]]は'''[[田奈氏]]'''を、弟の[[小山田重親|重親]]は小山田氏を称した。
三男の[[高山重遠|重遠]]は'''[[高山氏]]'''を称し、[[上野国]]に移動して高山党
四男の[[江戸重継|重継]]は'''[[江戸氏]]'''を称し、武蔵の豪族として栄えた。子孫には、[[徳川綱吉]]の代に[[大名]]に列した[[喜多見氏]]や、江戸氏十八支流と呼ばれる[[中野氏]]、[[蒲田氏]]、[[六郷氏]]などがいる。
|