「丹波哲郎」の版間の差分

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{{複数の問題
{{出典の明記|date=2012年4月20日 (金) 17:13 (UTC)}}{{画像提供依頼|顔写真|date=2011年8月}}
| 出典の明記 = 2012年4月20日 (金) 17:13 (UTC)
| 参照方法 = 2013年3月13日 (水) 23:17 (UTC)
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| 芸名 = 丹波 哲郎
'''丹波 哲郎'''(たんば てつろう、[[1922年]][[7月17日]] - [[2006年]][[9月24日]])は、日本の[[俳優]]、心霊研究家。本名は'''丹波正三郎'''(たんば せいざぶろう)。[[東京府]][[豊多摩郡]][[大久保 (新宿区)|大久保町]]字百人町出身。身長175センチメートル。
 
俳優活動は50年以上で、[[テレビドラマ]]のほか、出演した[[映画]]は外国映画10本を含んだ300本以上に及ぶ名優である。オールスター映画では常連の一人として、権力者など上層部の人物役で特別出演をすること多かった。俳優養成所「丹波道場」を設立して後進の育成も手がけた。[[宮内洋]]は丹波の一番弟子である。心霊学と[[霊界]]の研究に没頭して、それに関する多数の書籍を出版した他、映画も製作した。
 
== 来歴 ==
大久保の名家の三男。系図を遡ると[[平安時代]]に[[医学書]]『[[医心方]]』を著した[[丹波康頼]]に辿り着く。祖父は薬学者の[[丹波敬三]]。父は日本画家の丹波緑川、実弟の[[丹波明]]は音楽学者。元大審院院長の[[林頼三郎]]は親戚である。[[成城中学]]から[[陸軍幼年学校]]を受験するも落第し、仙台二高を二度受験するも不合格。親戚が総長を務める[[中央大学]][[法学部]]英法科へ無試験で入学したという。在学中に[[学徒出陣]]し陸軍に入隊、[[立川陸軍航空整備学校]]で整備士官としての教育を受けた。その時の上官が[[川上哲治]]で、度々私的制裁を受けていたという。戦後は外務省嘱託として[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]][[通訳]]の[[アルバイト]]していた。
 
卒業後は団体職員となるも俳優を志し、創芸小劇場文化座を経て[[新東宝]]に入社。[[1952年]]、セミドキュメンタリー映画『殺人容疑者』(新東宝)に主演級の役でデビューする。同期の俳優の[[中島春雄]]は、「丹波はアナウンサー志望と思っていたから、新東宝で俳優になって驚いた」と語っている。その後は[[脇役]]ばかりの日々で、退社までの8年間、主演は一度もなかったが、[[敵役]]・[[悪役]]としては主役俳優を圧倒してしまうほどの強烈な存在感を見せた。[[1960年]]、[[新東宝]]社長・[[大蔵貢]]と喧嘩してクビになり (詳細は[[#人物]]を参照)、[[フリーランス|フリー]]になる。盟友である当時[[フジテレビジョン|フジテレビ]]のディレクターだった[[五社英雄]]とコンビを組み、1960年に放送された[[テレビドラマ]]『[[トップ屋]]』、[[1961年]]の[[ニュー東映]]で映画『霧と影』、『白昼の無頼漢』に主演して、その重厚な演技で注目を集める。[[1963年]]に放送されたテレビ[[時代劇]]『[[三匹の侍]]』でスターダムにのし上がる。既に41歳であった
 
[[1960年代]]は[[東映]]のギャング映画や[[任侠映画]]を中心に、ギャングのボス・やくざの兄貴分など準主演級の存在感のある役どころで多数出演したほか、『[[ジャコ万と鉄]]』では[[アイヌ]]の血を継ぐ[[猟師]]を演じている。[[1967]]年には[[イギリスの映画|イギリス映画]]『[[007は二度死ぬ]]』に出演して、国際俳優と呼ばれるようになった。
== 人物 ==
;家族
息子に俳優の[[丹波義隆]]と森正樹。哲郎の妻は[[北一輝]]のいとこの娘にあたる<ref>[http://www.kajika.net/furusawa/20040725-5.htm 古沢襄「北一輝の従妹・ムツ」]</ref>。また、妻の兄の大蔵敏彦は弁護士で、四大死刑冤罪事件の一つ[[島田事件]]で被告人の無罪を勝ち取った人物である<ref>[http://www.bestlife.ne.jp/tanba/part04/c3_080530.html 丹波哲郎の幸せのメッセージ 人が死ぬということ―大往生の極意―]</ref>。[[杉並区]][[西荻窪]]に永住したが、俳優として確固たる地位を築いた矢先、愛人と隠し子がいるとの騒動が勃発。しかし「こんなことは[[日本のタクシー|タクシー]]の運転手さんも知っているよ」とあっさり認めてしまった。葬儀が行われた際、愛人とその子供(元女優の江畑絢子と息子である森正樹)が弔問に訪れた。丹波義隆は気遣って席を外し、二人に別れの一時を与えた。丹波が二つの家族を分け隔て無く愛したゆえの出来事と言える。また、葬儀の際、義隆の長男が「祖父はいつも女性の身体を触っていた」と暴露。その「被害者」は義隆の夫人のみならず2人の孫娘など多岐に渡っていたが、オープンに「女性好き」を公言していた故人を偲ぶエピソードとして、周囲の笑いを誘った
 
[[杉並区]][[西荻窪]]に永住したが、俳優として確固たる地位を築いた矢先、愛人と隠し子がいるとの騒動が勃発。しかし「こんなことは[[日本のタクシー|タクシー]]の運転手さんも知っているよ」とあっさり認めてしまった。葬儀が行われた際、愛人とその子供(元女優の江畑絢子と息子である森正樹)が弔問に訪れた。丹波義隆は気遣って席を外し、二人に別れの一時を与えた。丹波が二つの家族を分け隔て無く愛したゆえの出来事と言える。また、葬儀の際、義隆の長男が「祖父はいつも女性の身体を触っていた」と暴露。その「被害者」は義隆の夫人のみならず2人の孫娘など多岐に渡っていたが、オープンに「女性好き」を公言していた故人を偲ぶエピソードとして、周囲の笑いを誘った。
 
;作品
[[1963年]]の映画『[[丹下左膳#丹波哲郎シリーズ|丹下左膳]]』(松竹京都)で隻眼隻腕の剣士、[[丹下左膳]]を演じる事になったが、[[殺陣]]がやりにくいとの理由から、設定上右手、右眼が無いところを左手、左眼がないことにして刀を右で持つ、という提案をし、世間を驚かせた。歴代の丹下左膳の中でも右手なのは丹波の作品のみである。主演作品も多い俳優としては異例の出演本数の多さであり、『[[仁義なき戦いシリーズ]]』では写真だけの出演(モデルは[[田岡一雄]])もあった。『[[人間革命]]』でシリアスな宗教家を演じた時期に、[[石井輝男]]が監督をした『ポルノ時代劇 忘八武士道』にも主演していたと著書で語っている。石井はもっとも信頼出来る俳優のひとりとして、文句をいわず、ひたすら言われたことを黙々と演じる丹波をいつもほめていた<ref name="佐野史郎">{{Cite web |author=佐野史郎 |authorlink=佐野史郎 |coauthors= |date=2006-9-27 |url=http://www.kisseido.co.jp/column/tanba.html |title=丹波哲郎さん大霊界へ逝く |format= |doi= |work= |publisher=橘井堂 |page= |pages= |language= |archiveurl= |archivedate= |accessdate=2013-2-9 |quote= |ref=}}</ref>。
 
;台詞
出演依頼は「二度断り三度目に応諾する。5ページ以上の[[台詞]]がある仕事は受けない」というスタイルを守っていた{{いつ|date=2012年4月20日 (金) 17:13 (UTC)}}。マネージャーの条件は「仕事を取って来ないこと」で、仕事を取りすぎるという理由で解雇された者もいた。作品により台詞を覚えてこないこともあり<ref name="佐野史郎"/>、机の上や壁、共演者の背中にカンニングペーパーが準備された。「Gメン'75」等で共演した[[夏木陽介]]の著書によれば「丹波ちゃんとは、同じ[[警視]]役で対等に付き合っていた。丹波ちゃんは[[新東宝]]を辞めてお金に苦労していた頃、[[柳家金語楼]]さんの付き人をしており、この金語楼さんが全く台詞を覚えてこず、カンニングペーパーを使っていたので、それを真似るようになったんだと思う」とのことだが、「なぜ台詞を覚えてこないのか」と聞かれると「仕事は家庭に持ち込まない主義だから」と答えた。
 
;海外での評価
『[[007は二度死ぬ]]』への出演は、丹波は既に海外映画の経験があり、日常英会話による意志の疎通も可能だったために、制作スタッフから指名があった。スタッフが、[[浜美枝]]の英語の習得が遅々として進まないのに不安を持ち、それを丹波を通して浜美枝に伝えたというエピソードもある。[[ルイス・ギルバート]]とは『第七の暁』でも一緒に仕事をしており、プライベートでも交友があった。 外国の映画祭にも精力的に足を運んでいたが、このような丹波は日本ではあまり知られていない。
 
海外、特にヨーロッパでは俳優・プロデューサーとして丹波哲郎の評価は高い。これは「ヤクザ映画」や「カルト映画」の俳優としてではなく、外国の映画祭にも精力的に足を運んだ時期があったことが関係しているが、このような丹波は日本ではあまり知られていない。
 
;様々な交友
[[ラヴァンス|丹波プロダクション]]に所属し、『[[キイハンター]]』『[[鬼平犯科帳 (丹波哲郎)|鬼平犯科帳]]』などで共演した[[野際陽子]]を妹のように可愛がっていた<ref name="佐野史郎"/>。[[佐野史郎]]はドラマ『[[ずっとあなたが好きだった]]』で野際と共演していた時に、丹波から「陽子をヨロシク!」と声をかけられている<ref name="佐野史郎"/>。
 
[[東宝]]映画『[[激動の昭和史 沖縄決戦]]』出演の際、丹波は毎日遅刻で現場に入った。これはスターは定刻より遅く現場に入るという風習からの行動であり、[[スター・システム (俳優)|スター・システム]]の[[東映]]では日常的な事であったが、ある日ついに共演者の年齢は丹波が1つ上だが、芸歴では先輩に当たる[[小林桂樹]]から「これは東宝(作品)なんだ、明日からちゃんと定時に来るように」と説教されたという<!--<ref>日本映画専門チャンネル 「仲代達矢の日本映画遺産 第五部 時代劇の現場」</ref>(年齢テレビ丹波が1つ上だが検証可能性を満たしていないため芸歴では小林が先輩に当たる)C/O)-->
 
;心霊研究など
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