「ハリー・コーン」の版間の差分

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コーンは[[独裁]]的かつ威嚇的なやり方で有名だった。従業員からは「ハリウッド始まって以来の完全な[[暴君]]」と呼ばれ、スタジオを「私的[[警察国家]]のように」牛耳っていると評された。「スタジオのあらゆる音声機器には[[盗聴器]]が仕掛けてあって、誰かに悪口を言われようものなら、すぐさま[[拡声器]]で怒鳴りつける」との評判だった。従業員のやる気を最大限に引き出すため、あるいは単にスタジオでの支配力を増大させるために、暴君としての評判が壊れないよう細心の注意を重ねていたという説もある。彼は1933年に[[イタリア]]で[[ムッソリーニ]]に会い、サイン入りの[[肖像写真]]を貰って、[[第二次大戦]]が始まるまで机の上に飾っていた。[[マフィア]]の[[ジョン・ロセッリ]]は旧友であり、[[ユダヤ系ギャング]]の[[アブナー・ツヴィルマン]]からは、ブラントより会社の株を買い占めるときに資金を借りた。出演契約をエサにして[[女優]]に[[セックス]]を要求したという話もあるが、この種の要求自体は、当時のハリウッドの[[プロデューサー]]としては別に珍しくもなかった。
 
1958年に亡くなった際には大規模な葬儀がおこなわれた。出席者の一人[[レッド・スケルトン]]は、「『人が見たがっているものを出せ、そうすりゃ人は見に来るんだ』と言うが、本当だね」と冗談を言った。([[ゴシップ]][[コラムニスト]]の[[ヘッダ・ホッパー]]は「ハリーを嫌うには、行列に並ばなきゃね」と付け加えた。)ハリーのなきがらは、ハリウッド関係者専用の[[ハリウッド・フォーエヴァー墓地]]に眠っている。
 
 
[[en:Harry Cohn]]
[[Category:ユダヤ人|はりこん]]
{{生没年|はりこん|1891年|1958年}}
[[Category:アメリカ合衆国の実業家|はりこん]]
[[Category:アメリカ合衆国の映画監督|はりこん]]
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