「丹波哲郎」の版間の差分

すぐに古くなる表現は使わない、生前に決まってる、丹波の記事にわざわざ丹波と記す必要なし、内部lkで参照できる、大言壮語を除去。出典依頼・追加し、推敲・加筆。
(すぐに古くなる表現は使わない、生前に決まってる、丹波の記事にわざわざ丹波と記す必要なし、内部lkで参照できる、大言壮語を除去。出典依頼・追加し、推敲・加筆。)
| 出典の明記 = 2012年4月20日 (金) 17:13 (UTC)
| 参照方法 = 2013年3月13日 (水) 23:17 (UTC)
}}
}}{{画像提供依頼|顔写真|date=2011年8月}}
{{ActorActress
| 芸名 = 丹波 哲郎
| 本名 = '''丹波 正三郎''' <small>(たんば せいざぶろう)</small>
| 別名 =
| 出生地 = [[東京府]][[豊多摩郡]]<br />[[大久保 (新宿区)|大久保町]]字百人町
| 死没地 = [[東京都]][[三鷹市]]
| 国籍 = {{JPN}}
| 没月 = 9
| 没日 = 24
| 職業 = [[俳優]]・[[芸能プロモーター]]・<br />心霊研究家
| ジャンル = [[映画]]・[[テレビドラマ]]
| 活動時期 = [[1952年]] - [[2006年]]
| 活動内容 =
| 配偶者 = あり
| 家族 = 祖父 [[丹波敬三義隆]](息子)<br />息子 [[丹波義隆]](弟)、[[丹波敬三]](祖父)
| 公式サイト =
| 主な作品 = '''映画'''<br />『[[トップ屋豚と軍艦]]』/『[[三匹の侍丹下左膳#丹波哲郎シリーズ|丹下左膳]]』/『[[暗殺 (映画)|暗殺]]』<br />『[[007は二度死ぬ]]』/『[[キイハンター]]』<br />『[[人間革命#映画|人間革命]]』<br />『[[砂の器#映画|砂の器]]』/『[[二百三高地]]』<br />『[[学校 (映画)|十五才 学校IV]]』<hr />'''テレビドラマ'''<br />『[[トップ屋]]』/『[[三匹の侍]]』/『[[キイハンター]]』<br />『[[鬼平犯科帳 (丹波哲郎)|鬼平犯科帳]]』/『[[Gメン'75|Gメン]]シリーズ』/『[[二百三高地]]』
| 日本アカデミー賞 = '''最優秀助演男優賞'''<br />[[1980年]](昭和55年)『[[二百三高地]]』
| ブルーリボン賞 = '''助演男優賞'''<br />1980年(昭和55年)『二百三高地』
| その他の賞 = '''[[毎日映画コンクール]]男優演技賞'''<br />[[1973年]](昭和48年)『[[人間革命#映画|人間革命]]』<br />'''[[日刊スポーツ映画大賞]]助演男優賞'''<br />[[2000年]](平成12年)『[[学校 (映画)|十五才 学校IV]]』
| 備考 =
}}
'''丹波 哲郎'''(たんば てつろう、[[1922年]][[7月17日]] - [[2006年]][[9月24日]])は、[[日本]]の[[俳優]]・[[芸能プロモーター]]・心霊研究家。本名は'''丹波 正三郎'''(たんば せいざぶろう)。[[東京府]][[豊多摩郡]][[大久保 (新宿区)|大久保町]]字百人町出身。身長175センチメートル。
 
俳優活動は50年以上で、[[テレビドラマ]]のほか、出演した[[映画]]は外国映画10本を含んだ300本以上に及ぶ名優<ref name="朝日">{{cite news |title=俳優丹波哲郎さん死去 国際的活躍、死後の世界にも関心 |url=http://www.asahi.com/culture/movie/TKY200609250336.html |publisher=[[Asahi.com]] |date=2006年09月25日 |accessdate=2013-3-13 <!--|archiveurl=http://web.archive.org/web/20091028032545/http://www.asahi.com/culture/movie/TKY200609250336.html |archivedate=2013-3-13 -->}}</ref>。そのほかにも[[テレビドラマ]]あるも活躍しており、映画製作にも携わった。オールスター映画では常連の一人として、権力者など上層部の人物役で特別出演もした。丹波プロダクション<ref>同社はその後、[[ラヴァンス]]と社名を代えた。</ref>・俳優養成所「丹波道場」を設立し後進の育成も手がけており、[[宮内洋]]は丹波の一番弟子である。心霊学と[[霊界]]の研究に没頭それに関する多数の書籍を出版た他ており映画も製作し『丹波哲郎の大霊界』は[[ベストセラー]]となっ<ref name= "朝日"/>
 
== 来歴 ==
大久保の名町字百人町にて丹波家の三男として生誕家柄は系図を遡ると[[平安時代]]に[[医学書]]『[[医心方]]』を著した[[丹波康頼]]に辿り着く。祖父は薬学者の[[丹波敬三]]父は日本画家の丹波緑川、実弟の[[丹波明]]は音楽学者、親戚には元大審院院長の[[林頼三郎]]は親戚である。[[成城中学]]か[[陸軍幼年学校]]を受験するも落第し、仙台二高を二度受験するも不合格。親戚総長を務め[[中央大学]][[法学部]]英法科へ無試験で入学したという。在学中に[[学徒出陣]]し陸軍に入隊、[[立川陸軍航空整備学校]]で整備士官としての教育を受けた。その時の上官が[[川上哲治]]で、度々私的制裁を受けていたという。戦後は外務省嘱託として[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]][[通訳]]の[[アルバイト]]していた
 
[[成城中学]]から[[陸軍幼年学校]]を受験するも落第し、仙台二高を二度受験するも不合格。親戚が総長を務める[[中央大学]][[法学部]]英法科へ無試験で入学したという。在学中に[[学徒出陣]]し陸軍に入隊、[[立川陸軍航空整備学校]]で整備士官としての教育を受け、上官には[[川上哲治]]がいた (詳細は[[#人物]]を参照)。戦後は外務省嘱託として[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]][[通訳]]の[[アルバイト]]をしていた。
卒業後は団体職員となるも俳優を志し、創芸小劇場・文化座を経て[[新東宝]]に入社。[[1952年]]、セミドキュメンタリー映画『殺人容疑者』(新東宝)に主演級の役でデビューする。同期の俳優の[[中島春雄]]は、「丹波はアナウンサー志望と思っていたから、新東宝で俳優になって驚いた」と語っている。その後は[[脇役]]ばかりの日々で、退社までの8年間、主演は一度もなかったが、[[敵役]]・[[悪役]]としては主役俳優を圧倒してしまうほどの強烈な存在感を見せた。[[1960年]]、[[新東宝]]社長・[[大蔵貢]]と喧嘩してクビになり (詳細は[[#人物]]を参照)、[[フリーランス|フリー]]になる。盟友である当時[[フジテレビジョン|フジテレビ]]のディレクターだった[[五社英雄]]とコンビを組み、1960年に放送された[[テレビドラマ]]『[[トップ屋]]』、[[1961年]]の[[ニュー東映]]で映画『霧と影』、『白昼の無頼漢』に主演して、その重厚な演技で注目を集める。[[1963年]]に放送されたテレビ[[時代劇]]『[[三匹の侍]]』でスターダムにのし上がる。
 
卒業後は団体職員となるも俳優を志し、創芸小劇場・文化座を経て[[新東宝]]に入社。同期には[[1952年高倉みゆき]]、セミドキュメンタリー映画『殺人容疑者』(新東宝)に主演級の役でデビューす・[[中島春雄]]・[[広瀬正一]]がいる。{{要出典範囲|date=2013年3月15日 (金) 05:19 (UTC)|同期の俳優の[[中島春雄]]は、「丹波はアナウンサー志望と思っていたから、新東宝で俳優になって驚いた」と語っている。その後は}}[[脇役1952年]]ばかり、セミドキュメンタリー映画『殺人容疑者』に主演級日々で、退社まデビューする。陰8年間、主演は一度ある二枚目としておなかったが、[[敵役]]・[[悪役]]で活躍ては主役俳優を圧倒してしまうほどの強烈な存在感を見せが<ref name="朝日"/>、[[1960年]]、[[新東宝]]社長・[[大蔵貢]]と喧嘩してクビになり (詳細は[[#人物]]を参照)[[フリーランス|フリー]]る。盟友である当時り、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の[[ディレクター]]だった[[五社英雄]]とコンビを組み、1960年に放送された[[テレビドラマ]]『[[トップ屋]]』、[[1961年]]には[[ニュー東映]]で映画『霧と影』、『白昼の無頼漢』に主演した。五社とは盟友となり1969年重厚な演技で注目を集める。[[1963年]]に放送されたテレビ[[時代劇]]映画『[[三匹の侍御用金 (映画)|御用金]]』でスターダムも出演上がている。
[[1960年代]]は[[東映]]のギャング映画や[[任侠映画]]を中心に、ギャングのボス・やくざの兄貴分など準主演級の存在感のある役どころで多数出演したほか、『[[ジャコ万と鉄]]』では[[アイヌ]]の血を継ぐ[[猟師]]を演じている。[[1967]]年には[[イギリスの映画|イギリス映画]]『[[007は二度死ぬ]]』に出演して、国際俳優と呼ばれるようになった。
 
映画『[[豚と軍艦]]』(1961年)、『[[丹下左膳#丹波哲郎シリーズ|丹下左膳]]』(1963年)、『[[暗殺 (映画)|暗殺]]』(1964年)、[[1963年]]の[[テレビドラマ|テレビ]][[時代劇]]『[[三匹の侍]]』などでスターとしての地位を確固たるものとし<ref name="朝日"/>、[[アイヌ]]の血を継ぐ[[猟師]]に扮した『[[ジャコ万と鉄]]』や、[[時代劇|時代劇映画]]・[[ギャング映画]]・[[任侠映画]]など、幅広く出演。[[1967]]年には通訳を務めた英語力を生かし、[[イギリスの映画|イギリス映画]]『[[007は二度死ぬ]]』に出演して、国際的に認知された<ref name="朝日"/>。
 
[[1968年]]から放映されたテレビドラマ『[[キイハンター]]』では「黒木鉄也」で主演。黒木のイメージは『007は二度死ぬ』で丹波が演じた、タイガー田中の人物像も反映させている。最盛期の『キイハンター』は視聴率30%を越える人気ドラマとなり、当初1年の予定が5年に延ばされた<ref>{{Cite book |和書 |author = [[千葉真一|JJサニー千葉]] |year = 2010 |title = 千葉流 サムライへの道 |publisher = [[ぶんか社]] |pages = 20 - 29 |isbn = 4821142694 }}</ref>。『キイハンター』終了後も、丹波は同時間帯でテレビドラマ『[[アイフル大作戦]]』『[[バーディ大作戦]]』『[[Gメン'75]]』と出演して、[[TBSテレビ|TBS]]系[[TBS土曜9時枠の連続ドラマ|土曜21:00]]の顔となる。
 
前後して[[1973年]]には映画『[[人間革命#映画|人間革命]]』で[[毎日映画コンクール]]男優演技賞受賞。[[1974年]]には映画『[[砂の器#映画|砂の器]]』の刑事役では重厚なを経て、技が高く評価された<ref name="朝日"/>。[[1980年]]の『[[二百三高地]]』で[[ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞]]助演男優賞と[[日本アカデミー賞]]最優秀助演男優賞をそれぞれ受賞した。生涯の研究分野であった「死後の世界」を描いた映画を作成・出演し<ref name="朝日"/>、300万人以上の動員を得る。[[1994年]][[11月]]には舞台で「大霊界」を表現し、映像では得ることの出来ない空間を表現し話題を呼んだ
 
生涯の研究分野であった「死後の世界」を描いた映画を作成・出演し、300万人以上の動員を得る。[[1994年]][[11月]]には舞台で「大霊界」を表現し、映像では得ることの出来ない空間を表現し話題を呼んだ。[[2000年]]、『[[学校 (映画)|十五才 学校IV]]』で[[日刊スポーツ映画大賞]]助演男優賞を受賞し、[[大河ドラマ]]『[[利家とまつ〜加賀百万石物語〜|利家とまつ]]』(2002年)、『[[義経 (NHK大河ドラマ)|義経]]』(2005年)などで、渋みある演技をみせていた<ref name="朝日"/>。 。[[2005年]][[2月]]から約2カ月間、[[インフルエンザ]]と[[虫垂炎]]のために入院し、それが原因でひどく痩せ、健康が懸念されていた。
 
{{Wikinewshas|{{PAGENAME}}|* [[n:訃報 丹波哲郎氏|訃報 丹波哲郎氏]]}}
[[2007年]][[7月17日]]、25年間交友のあった霊能者の稲川りよ子によれば、死後の丹波から、生前の約束通り霊界通信があり、「世のため、人のために尽くし明るい笑顔で人生を頑張ったのちには、それに見合った素晴らしい世界があります」との旨のメッセージが送られて来たという<ref>[http://www.tamba.ne.jp/blog/inagawa/index.php?UID=1184641798 『稲川りよ子の霊界サロン』 2007/7/17]</ref><ref>[http://www.tamba.ne.jp/blog/inagawa/index.php?UID=1193414708 『稲川りよ子の霊界サロン』 2007/10/27]</ref>。
 
[[2012年]][[4月26日]]にも、丹波から霊界通信があったと、[[幸福の科学]]総裁[[大川隆法]]による「公開霊言」にて映像収録が行われ、5月18日より公開された。「丹波哲郎・霊界からの大NG」の題名で霊界での心境、[[石原裕次郎]]や[[美空ひばり]]の死後の状況、現在の映画界に対するコメント等が語られている<ref>{{Cite web |url=http://www.happy-science.jp/news/lecture/258A.html|title=「丹波哲郎・霊界からの大NG」2012年5月公開法話・霊言一覧、宗教法人 幸福の科学|accessdate=2012-05-08}}</ref>。この内容は書籍化され「丹波哲郎 大霊界からのメッセージ - 映画『ファイナル・ジャッジメント』に物申す」<ref>幸福の科学出版 ISBN 978-4863952041</ref>、として発刊された。この書籍化に際し、来世研究会の元事務局長笠谷哲郎から「五年半ぶりに丹波氏に出会えた、霊言の内容に抱腹絶倒しながらも本人であることを確認した」とのコメントが出た<ref>[http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=756 「丹波哲郎 大霊界からのメッセージ」]</ref>。
 
== 人物 ==
;人柄
出演作を多く手がけた[[中島貞夫]]は「義理堅い日本の男で、ワンシーンの友情出演だけなのに京都へ来てくれたこともあった。車代を渡そうとしたら『おれはそんなつもりで出たんじゃない』と泣いて怒られた」と語り<ref name="朝日"/>、[[石井輝男]]はもっとも信頼出来る俳優のひとりとして、文句をいわず、ひたすら言われたことを黙々と演じる丹波をいつもほめていた<ref name="佐野史郎">{{Cite web |author=佐野史郎 |authorlink=佐野史郎 |date=2006-9-27 |url=http://www.kisseido.co.jp/column/tanba.html |title=丹波哲郎さん大霊界へ逝く |publisher=橘井堂 <!--|archiveurl=http://web.archive.org/web/20100225225353/http://www.kisseido.co.jp/column/tanba.html |archivedate=2013-3-13 -->|accessdate=2013-2-9 }}</ref>。
 
;家族
息子に俳優の[[丹波義隆]]と森正樹。哲郎の妻は[[北一輝]]のいとこの娘にあたる<ref>[http://www.kajika.net/furusawa/20040725-5.htm 古沢襄「北一輝の従妹・ムツ」]</ref>。また、妻の兄の大蔵敏彦は弁護士で、四大死刑冤罪事件の一つ[[島田事件]]で被告人の無罪を勝ち取った人物である<ref>[http://www.bestlife.ne.jp/tanba/part04/c3_080530.html 丹波哲郎の幸せのメッセージ 人が死ぬということ―大往生の極意―]</ref>。[[杉並区]][[西荻窪]]に永住したが、俳優として確固たる地位を築いた矢先、愛人と隠し子がいるとの騒動が勃発。しかし「こんなことは[[日本のタクシー|タクシー]]の運転手さんも知っているよ」とあっさり認めてしまった。葬儀が行われた際、愛人とその子供(元女優の江畑絢子と息子である森正樹)が弔問に訪れた。丹波義隆は気遣って席を外し、二人に別れの一時を与えた。丹波が二つの家族を分け隔て無く愛したゆえの出来事と言える。{{要出典範囲|date=2013年3月15日 (金) 05:19 (UTC)|また、葬儀の際、義隆の長男が「祖父はいつも女性の身体を触っていた」と暴露。その「被害者」は義隆の夫人のみならず2人の孫娘など多岐に渡っていたが、オープンに「女性好き」を公言していた故人を偲ぶエピソードとして、周囲の笑いを誘った。}}
 
;作品
[[1963年]]の映画『[[丹下左膳#丹波哲郎シリーズ|丹下左膳]]』(松竹京都)で隻眼隻腕の剣士、[[丹下左膳]]を演じる事になったが、[[殺陣]]がやりにくいとの理由から、設定上右手、右眼が無いところを左手、左眼がないことにして刀を右で持つ、という提案をし、世間を驚かせた<ref name= "朝日"/>。歴代の丹下左膳の中でも右手なのは丹波の作品のみである。『[[仁義なき戦いシリーズ]]』では写真だけの出演(モデルは[[田岡一雄]])もあった。『[[人間革命]]』でシリアスな宗教家を演じた時期に、[[石井輝男]]が監督をした『ポルノ時代劇 忘八武士道』にも主演していたと著書で語っ述べている。石井はもっとも信頼出来る俳優のひとりとして、文句をいわず、ひたすら言われたことを黙々と演じる丹波をいつもほめていた<ref name="佐野史郎">{{Cite web |author=佐野史郎 |authorlink=佐野史郎 |coauthors= |date=2006-9-27 |url=http://www.kisseido.co.jp/column/tanba.html |title=丹波哲郎さん大霊界へ逝く |format= |doi= |work= |publisher=橘井堂 |page= |pages= |language= |archiveurl= |archivedate= |accessdate=2013-2-9 |quote= |ref=}}</ref>
 
{{要出典範囲|date=2013年3月15日 (金) 05:19 (UTC)|[[東宝]]映画『[[激動の昭和史 沖縄決戦]]』出演の際、丹波は毎日遅刻で現場に入った。これはスターは定刻より遅く現場に入るという風習からの行動であり、[[スター・システム (俳優)|スター・システム]]の[[東映]]では日常的な事であったが、ある日ついに年齢は丹波が1つ上だが、芸歴では先輩に当たる[[小林桂樹]]から「これは東宝(作品)なんだ、明日からちゃんと定時に来るように」と説教されたという<!--<ref>日本映画専門チャンネル 「仲代達矢の日本映画遺産 第五部 時代劇の現場」</ref>(テレビは検証可能性を満たしていないため、C/O)-->}}
 
;台詞
著書で「軍隊時代に上官だった[[川上哲治]]からリンチを受けていた。終戦後に川上が『あのときは仕方なかった』と頭を下げて廻り、巧みな処世術をするのを見たとき、川上の本性がわかった」と述べている。
 
現在も[[ラヴァンス|丹波プロダクション(現・[[ラヴァンス]]に所属し、丹波と『[[キイハンター]]』『[[鬼平犯科帳 (丹波哲郎)|鬼平犯科帳]]』などで共演した[[野際陽子]]を生前、妹のように可愛がっていた<ref name="佐野史郎"/>。[[佐野史郎]]はドラマ『[[ずっとあなたが好きだった]]』で野際と共演していた時に、丹波から「陽子をヨロシク!」と声をかけられている<ref name="佐野史郎"/>。
 
[[東宝]]映画『[[激動の昭和史 沖縄決戦]]』出演の際、丹波は毎日遅刻で現場に入った。これはスターは定刻より遅く現場に入るという風習からの行動であり、[[スター・システム (俳優)|スター・システム]]の[[東映]]では日常的な事であったが、ある日ついに年齢は丹波が1つ上だが、芸歴では先輩に当たる[[小林桂樹]]から「これは東宝(作品)なんだ、明日からちゃんと定時に来るように」と説教されたという<!--<ref>日本映画専門チャンネル 「仲代達矢の日本映画遺産 第五部 時代劇の現場」</ref>(テレビは検証可能性を満たしていないため、C/O)-->。
 
;心霊研究など
心霊学と[[霊界]]に造詣を持ち、霊界の存在を確信していた<ref name="朝日"/>。多数の著作をものし、年間20回以上の講演を行っていた。本人もロンドンのホテルで中国人女性の複数の霊に遭遇しており、これが死後の確信に変わる出来事だったと話す。
 
その他、[[催眠術]]への造詣も深く、自ら催眠術を操れたという。新東宝時代、社長の[[大蔵貢]]と会食した際、彼の愛娘に対し催眠術を掛けてやると持ちかけ、慌てて大蔵に止められたことがある。これは、当時大蔵が自社の女優を手当たり次第物色していたとして物議を醸していた最中のことであり、この一件はこのような大蔵の姿勢に対し、丹波が催眠術を掛けて逆に娘を物色するぞと皮肉ったものだった。
 
;ユーモア
丹波の乗った車が交通違反で停められた際、丹波が[[日本の警察官|警察官]]に「Gメンの丹波だが」と言ったエピソードは有名対応。この時の違反はスピード違反と語られることが多いが、丹波自身の談話によると、一方通行の逆走だったとのことであ語っている<ref>DVD『Gメン'75 FOREVER BOX』Vol.1 映像特典「TALK ALIVE」(東映ビデオ)</ref>。
 
『人間革命』出演後、創価学会の大会に招待された際、創価学会の活動をさかんに顕揚する講演をした後で「[[南無阿弥陀仏]]」としめくくり、場内を騒然とさせた。丹波は著書に、自分のオッチョコチョイな性格を示す逸話として、この失敗談を載せている。
* [[大盗賊 (テレビドラマ)|大盗賊]] (1974年、フジテレビ / [[国際放映]]) - 闇将軍
* [[バーディー大作戦]] (1974年 - 1975年、TBS) - 桜田正三郎
* [[Gメン'75]] (1975年 - 1982年、TBS) - 黒木哲也警視
* [[鬼平犯科帳 (丹波哲郎)|鬼平犯科帳]] (1975年、NET / 東宝) - [[長谷川宣以|長谷川平蔵]]
* [[Gメン'75]] (1975年 - 1982年、TBS) - 黒木哲也警視
* [[新・座頭市]] 第6話「師の影に泣いた」(1976年、フジテレビ) - 伴野弥十郎
* [[大河ドラマ]]([[日本放送協会|NHK]])
* [[オーダーメイド〜幸せ色の紳士服店〜]] (2004年、NHK) - 五井重彦
* [[浅田次郎|天切り松 闇がたり]] (2004年、フジテレビ) - [[東郷平八郎]]
 
=== ゲーム演劇 ===
* [[シベリア超特急|シベリア超特急4]](2003年1月)
 
=== バラエティ ===
* [[丹波・山瀬のパニックTV]] (1990年 - 1991年、読売テレビ) - [[山瀬まみ]]と司会
* [[敏感!エコノクエスト]] ([[MBSテレビ|毎日放送]]) - レギュラー解答者
 
=== 歌手活動 ===
*「トップ屋」(作詞:白鳥朝詠、補作詞:[[五社英雄]]、作曲:[[沢田駿吾]]、[[東芝レコード]]、1960年12月発売)
*「俺がやらなきゃ」(作詞:東逸平、作曲:植村亨、東芝レコード、1960年12月発売)
 
=== ゲーム ===
* [[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ シネマランド カチンコガチンコ大活劇!]] - 温泉の精・丹波(本人役)※ライブラリ出演
 
=== CM ===
* [[日本デジタル研究所]] 「文作30DTP」
 
=== 舞台ゲーム ===
* [[クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ シネマランド カチンコガチンコ大活劇!]] - 温泉の精・丹波(本人役)※ライブラリ出演
* [[シベリア超特急|シベリア超特急4]](2003年1月)
 
== ディスコグラフィ ==
*「トップ屋」(作詞:白鳥朝詠、補作詞:[[五社英雄]]、作曲:[[沢田駿吾]]、[[東芝レコード]]、1960年12月発売)
*「俺がやらなきゃ」(作詞:東逸平、作曲:植村亨、東芝レコード、1960年12月発売)
 
==著書==
 
== 外部リンク ==
* [http://www.tamba.ne.jp/ 丹波哲郎の霊界サロン] - 来世研究会(管理人:[[正希光]])
* [http://www.jmdb.ne.jp/person/p0265190.htm 日本映画データベース 丹波哲郎]
* [http://www.tamba.ne.jp/ 丹波哲郎の霊界サロン] - 来世研究会(管理人:[[正希光]])
 
{{ウィキポータルリンク|スピリチュアリティ}}
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