「ミステリ」の版間の差分

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==歴史==
仁賀によるとミステリの生みの親は[[エドガー・アラン・ポー]]だといわれる。ただし、その作品のうちミステリと呼べるものは数編に留まり、『[[モルグ街の殺人]]』が史上初のミステリとされる。直感ではなく証拠と論理的推論によって謎の解明を行うというミステリの形式はこの作品によって生み出されたという。また、ポーは同作を含む数編で、密室殺人、[[名探偵]]とその言動を記す主人公、心理的盲点といったその後のミステリ全体の原型を提示している<ref name="jinka"/>。
 
同時期にチャールズ・ディケンズは双子トリックを使った『荒涼館バーナービー・ラッジ』を発表、必ずしもミステリを目したわけではないが、犯罪の謎とその論理的解明を全編を通じて描いた。遺作『エドウィン・ドルード』は本格的なミステリを志向したものと考えられているが,未完の作のため決定的な証拠にかける
 
彼の友人でもあったウィルキー・コリンズは、探偵ものからサスペンスものまで、幅広く事件や犯罪にかかわる小説を多数発表した。とりわけ、大好評を博したサスペンス・ミステリの『白衣夫人の謎』と、より謎の解明を中心テーマにおいた『月長石』は、いまだに読むに値する長編小説である。
 
続く[[アーサー・コナン・ドイル]]による[[シャーロック・ホームズシリーズ|『シャーロック・ホームズ』シリーズ]]の人気は、ポーによって生み出されたミステリをエンターテインメントとして一つの分野を形成するまでに押し上げた。4冊の長編と5冊の短編集を世に問い、[[シャーロキアン]]と呼ばれる熱狂的ファンを生み出して今日まで世界各国でホームズ研究が続けられることになった。さらにホームズの成功に対抗する動きから、いくつかの重要な機軸が生まれた。[[オースティン・フリーマン]]は倒叙形式を提示し、[[マシュー・フィリップ・シール]]は[[安楽椅子探偵]]の創造者とされる<ref name="jinka"/>。
 
また、孤高の存在ではあったが、シャーロック・ホームズのごく初期の発表作と同時期に、批評家・エッセイストのイズレイル・ザングヴィルが、密室と意外な犯人の極をテーマにほぼ完ぺきな推理小説の模範といっていい『ビッグ・ボウの殺人』を著したが,ミステリの主流からは長らくわすれられた存在となった。
 
1920年代は「本格ミステリの黄金時代」という。1920年に[[F・W・クロフツ|フリーマン・ウィルス・クロフツ]]は『[[樽 (推理小説)|樽]]』を執筆し、アリバイ崩しというジャンルを確立した。そして同じく1920年に『[[スタイルズ荘の怪事件]]』でデビューしたのが、ミステリの女王と呼ばれる[[アガサ・クリスティ]]である。この作品で登場した探偵[[エルキュール・ポアロ]]のシリーズ、[[ミス・マープル]]のシリーズ、その他長編66作短編集19作にも及ぶ作品からなる。中でも『[[そして誰もいなくなった]]』や『ねずみとり』は自ら[[戯曲]]化し、前者は何度も映画化され、後者はその後長く舞台上演が続くことになった<ref name="jinka"/>。