「丹波哲郎」の版間の差分

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前後して[[1973年]]には映画『[[人間革命#映画|人間革命]]』で[[毎日映画コンクール]]男優演技賞受賞。[[1974年]]には映画『[[砂の器#映画|砂の器]]』の刑事役では重厚な演技が高く評価された<ref name="朝日"/>。[[1980年]]の『[[二百三高地]]』で[[ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞]]助演男優賞と[[日本アカデミー賞]]最優秀助演男優賞をそれぞれ受賞した。生涯の研究分野であった「死後の世界」を描いた映画を作成・出演し<ref name="朝日"/>、300万人以上の動員を得る。[[1994年]][[11月]]には舞台で「大霊界」を表現し、映像では得ることの出来ない空間を表現し話題を呼んだ。
 
[[2000年]]、『[[学校 (映画)|十五才 学校IV]]』で[[日刊スポーツ映画大賞]]助演男優賞を受賞し、[[大河ドラマ]]『[[利家とまつ〜加賀百万石物語〜|利家とまつ]]』(2002年)、『[[義経 (NHK大河ドラマ)|義経]]』(2005年)などで、渋みある演技をみせていた<ref name="朝日"/>。 [[2005年]][[2月]]から約2月間、[[インフルエンザ]]と[[虫垂炎]]のために入院し、それが原因でひどく痩せ、健康が懸念されていた。
 
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