「吹田信号場」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Yzayz (会話 | 投稿記録)
吹田貨物ターミナル駅運用開始に伴い、リダイレクトに格下げ
タグ: サイズの大幅な増減
Yzayz (会話 | 投稿記録)
Yzayz (会話) による ID:46687406 の版を取り消し
タグ: サイズの大幅な増減
1行目:
{{Coor title dms|34|46|29|N|135|32|11|E}}
#REDIRECT [[吹田貨物ターミナル駅]]
{{駅情報
|社色 = #0072bc
|文字色 =
|駅名 = 吹田信号場<!--吹田貨物ターミナル駅-->
|画像 =
|pxl =
|画像説明 =
|よみがな = すいた<!--かもつターミナル-->
|ローマ字 = Suita
|電報略号 = スシ
|乗入路線数 = 3
|所属路線1 = [[東海道本線]]<!-- JR京都線は旅客系統の名称 --->
|隣の駅1 = self
|前の駅1 = ◄[[千里丘駅|千里丘]] (1.6km)<br />◄◄*[[茨木駅|茨木]] (4.5km)
|駅間A1 =
|駅間B1 =
|次の駅1 = (0.1km) [[岸辺駅|岸辺]]►<br />(2.5km) [[吹田駅 (JR西日本)|吹田]]*►►
|キロ程1 = 546.3km([[東京駅|東京]]起点)<br />[[京都駅|京都]]から32.7
|起点駅1 =
|所属路線2 = 東海道本線貨物支線
|隣の駅2 = self
|次の駅2 = (8.7km) [[大阪貨物ターミナル駅|大阪(タ)]]►
|キロ程2 = 0.0
|起点駅2 = 吹田信号場<!--貨物ターミナル駅-->
<!-- 片町線城東貨物線は吹田駅が起点です --->
|所在地 = [[大阪府]][[吹田市]]芝田町
|座標 =
|開業年月日 = [[1923年]]([[大正]]12年)[[6月1日]]
|廃止年月日 =
|備考 = * 貨物線上の実際の隣の施設
}}
'''吹田信号場'''(すいたしんごうじょう)<!--'''吹田貨物ターミナル駅'''(すいたかもつターミナルえき)-->は、[[大阪府]][[吹田市]]芝田町にある[[西日本旅客鉄道]](JR西日本)[[東海道本線]]の貨物線上の[[吹田駅 (JR西日本)|吹田駅]]と[[千里丘駅]]間に所在する[[信号場]]<!--[[鉄道駅#貨物駅|貨物駅]]-->である。
 
かつての'''吹田操車場'''であり、東洋一の規模を有する[[操車場 (鉄道)|操車場]]であったが、[[1984年]]2月の[[1984年2月1日国鉄ダイヤ改正|ヤード集結式輸送]]の終結により信号場に格下げされ<!--、その後、梅田駅の移転事業の一環として再度貨物駅化され-->た。
 
位置的には旅客線上の[[岸辺駅]]の北側に広がっているが、岸辺駅とは同一構内として扱われていない(そもそも岸辺駅は旅客線のみの[[停車場#停車場の定義|停留所]]である。千里丘駅も同様)。
 
当記事では'''吹田操車場'''についても合わせて記述する。
 
== 概要 ==
[[日本貨物鉄道]](JR貨物)により運行される[[貨物列車]]の多くは乗務員交代などのために[[停車 (鉄道)#運転停車|運転停車]]する。当信号場以西と[[日本海縦貫線]]を直通する列車の多く<!--梅田・安治川口・百済に行く列車は機関車交換しない-->は[[交流電化|交流]]・[[直流電化|直流]]両用[[電気機関車]]と直流電気機関車の交換を行い、また配線上直通できない東海道本線と[[大阪貨物ターミナル駅]]を結ぶ列車、[[山陽本線]]方面と[[梅田貨物線]]を結ぶ列車はここで[[機回し]]を行う。
 
現在の使用エリアは大きく3つに別れ、千里丘駅に近い吹田第二信号場では[[大阪貨物ターミナル駅]]へと分岐し、岸辺駅に近い吹田第六信号場では上り列車の運転停車・機回し、また吹田駅に近い吹田第七信号場では下り列車の運転停車・機回しを行う。
 
東海道・日本海縦貫線から[[梅田駅 (JR貨物)|梅田駅]]・[[安治川口駅]]へ向かう下り貨物列車には停車しないものも多い。
 
吹田第七信号場は[[特別急行列車|特急]]「[[はるか (列車)|はるか]]」・特急「[[くろしお (列車)|くろしお]]」など東海道本線から[[阪和線]]へのルートとして旅客列車も利用しており、また吹田第六信号場は[[新大阪駅]]始発・終着の「くろしお」の折り返しにも使われている。また、大阪発着の特急・急行列車で[[吹田総合車両所#京都支所|吹田総合車両所京都支所]](旧・[[京都総合運転所]])へ出入りする回送列車は北方貨物線と東海道本線の渡りとして信号場内を通っている。京都支所から[[吹田総合車両所#本所|吹田総合車両所本所]]に[[鉄道車両の検査|検査]]入場する際は吹田第二信号場から[[日本の鉄道信号#入換信号機|入換信号機]]で入場する。
 
一時期運行されていた[[臨時列車|臨時]][[快速列車]]「[[関空快速・紀州路快速#ウエスト関空|ウエスト関空]]」の[[姫路駅|姫路]]行き列車は、吹田第六信号場で折り返し北方貨物線経由で姫路に向かう設定であった。
 
このように現在でも大規模な信号場である。
 
[[再開発]]のため廃止される予定の梅田貨物駅の機能移転先として、[[2007年]]1月より吹田貨物ターミナル駅が起工されており、[[2013年]]3月16日運用開始予定である<ref>[http://www.jrfreight.co.jp/common/pdf/news/201212daiya.pdf 平成25年3月時刻改正新しい輸送サービスのご案内]</ref>。
 
== 吹田操車場 ==
=== 発祥 ===
[[鉄道国有法|鉄道国有化]]以降、鉄道貨物輸送は増加の一途をたどり、それまで各駅で行ってきた[[貨車]]の入換作業能力にも限界が来つつあり、なによりも非効率であった。そこで、操車専用の駅を本線上に設け、操車場間を結ぶ[[貨物列車]]と操車場と周辺の貨物取扱駅(一般駅、貨物駅)を往復する貨物列車(これを解結貨物列車と称する)を走らせることで、全体としての操車能力の大幅な増強と効率化を図ることにした。その「操車専用の駅」こそが操車場である。
 
東海道本線は日本の交通の大動脈であり、多数の貨物列車が走行していた。まして[[大阪市|大阪]]は交通の要衝であるばかりでなく、経済、産業などのあらゆる意味で日本の重要都市であったので、貨物需要が相当数あり操車場建設の要請は充分だった。
 
以上の経緯から、[[1923年]][[6月1日]]、大阪を通る貨物や大阪を発着地とする貨物を捌く一大操車場、吹田操車場が建設・開業した。
 
=== 発展 ===
吹田操車場は開業当初から期待通りの活動をした。その構内線路総延長約150キロ、一日最大貨車取扱可能量6,000両はいずれも廃止に至るまで日本国内の貨車操車場で最高であり、「東洋一の操車場」と称えられ、日本三大操車場の一つ(残り2つは[[新鶴見信号場|新鶴見操車場]]と[[稲沢操車場]])にまで数えられた。特筆すべきはこの操車場が[[操車場 (鉄道)#ハンプヤード|ハンプヤード]]であることで、しかも日本の操車場で唯一2か所のハンプ(上り用と下り用)を備えていた。吹田操車場の開業に伴い、吹田市は鉄道産業の町として発展を遂げ、同時に巨大なビール工場を抱えていた吹田市は「ビールと操車場の町」として日本全国に知られるようになった。
 
また、入換用機関車の車庫として吹田機関区が併設されたが、後に本線走行用の機関車が多数配属されるようになった。
 
=== 貨物取扱 ===
吹田操車場に隣接する吹田駅で[[専用鉄道|専用線]]発着の貨物の取扱も行っていたため、吹田操車場での貨物扱いはなかった。
ちなみに吹田駅(貨物コード6018)での専用線は以下の通り。
*[[アサヒビール]]
*近畿コンクリート工業
*[[阪急電鉄]][[阪急電鉄正雀工場|正雀工場]] - 阪急電鉄向け[[車両輸送|甲種輸送]]の専用線が正雀工場内に引き込まれていた。国鉄と阪急では[[軌間|レール幅]]が異なるため、工場入構後に[[鉄道車両の台車|台車]]を付け替えていた。
*[[昭和電工]]
 
=== 貨車継走と仕立 ===
吹田操車場は大阪の各貨物扱い駅と[[福知山線]]、[[竜華操車場]]経由の阪和線・[[関西本線]]方面の貨物を東海道・山陽線の各方面へ(もちろんその逆も)を結ぶ役割を果たしてきた。到着、仕訳後に仕立される列車には以下のような行先があった([[1973年]]版『貨物時刻表』による)。
*[[東海道本線]]上り方面:梅小路、米原操、稲沢操、東静岡、新鶴見操、富山操、青森操・五稜郭
*山陽本線下り方面:東灘操、神戸港・鷹取、姫路、岡山操、東広島、門司操、多度津
*福知山線([[山陰本線]]方面):川西池田、北伊丹、和田山・鳥取
*支線・解結扱い:湊町・竜華操・百済・放出・淀川・吹田・梅田・大阪市場・安治川口・桜島・塚口・尼崎・尼崎港・住吉・西ノ宮・茨木
 
=== 吹田事件 ===
{{Main|吹田事件}}
[[朝鮮戦争]]勃発後、[[在日米軍]]の軍需輸送が増大し、そのほとんどを発足間もない[[日本国有鉄道]](国鉄)が引き受けていた。
 
そんな中の[[1952年]][[6月25日]]、学生や労働者、女性、[[在日コリアン]]など朝鮮戦争に反対する[[デモ活動|デモ隊]]約1千人が「国鉄は朝鮮半島の同胞を死に追いやる物資を輸送している」として、抗議の意志を示すためにそのデモ隊が吹田操車場内に入り込み、軍需列車の走行を阻止しようと[[シュプレヒコール]]をあげた。結果的に当日軍需貨物列車は走らず、やがて吹田駅で解散したデモ隊参加者を警官が弾圧。大勢の負傷者・逮捕者を出す騒ぎとなった。その後の裁判で被告人たちは三審いずれも無罪判決だった。
 
=== 斜陽化 ===
[[太平洋戦争]]終了後も吹田操車場の取扱貨車両数は増え続け、やがては限界である1日6,000両の貨車を取り扱うこともあった。
 
しかし[[1970年代]]以降は、日本国内で[[モータリゼーション]]が進行し、同時に貨物輸送の合理化・迅速化を図る国鉄は途中入換作業不要の[[コンテナ]]専用列車を設定するようになり、吹田操車場をはじめとする全国各地の操車場で業務が減少していった。鉄道貨物輸送自体の減少に加え、操車場での入換作業を要する貨車はほぼ全てが[[車扱貨物]]であり、コンテナ輸送と比べて非効率だったからである。
 
国鉄側も当初は操車場経由式輸送を見限るのではなく入換作業の効率化・迅速化を図り、一部の操車場のコンピュータ化を行ったが、財政難と操車場施設のあまりの広大さゆえに吹田操車場は最後までコンピューター化はなされなかった。
 
[[1976年-1987年の国鉄ダイヤ改正|国鉄末期のダイヤ改正]]では毎回のごとく貨物列車が削減されていったが、[[1984年]]2月の[[1984年2月1日国鉄ダイヤ改正|国鉄ダイヤ改正]]において操車場経由式輸送が全廃されたことで吹田操車場も他の多くの操車場と同様にその歴史に幕を閉じた。操車場の機能廃止後は大半が広大な空き地となったほかは吹田信号場として機能している。
 
=== 貨物駅建設計画 ===
[[1987年]]、旧国鉄の負債を返済するべく、梅田駅移転および旧梅田駅跡地の売却計画がスタートした。当初は、梅田駅の貨物取扱施設を吹田操車場跡地に移転(仮称、吹田貨物ターミナル駅)させて跡地を商業用地として売却、売上金を負債返済に充てるというものだった。
 
ところが計画当時の[[バブル景気]]はのちに崩壊し、地価は暴落したため梅田駅移転の意義が失われ、その上吹田市や[[摂津市]]において[[貨物自動車|トラック]]の走行による公害を危惧する地元住民による移転建設反対運動が起こったことから、地元の理解が得られず、[[1997年]]6月に、[[日本国有鉄道清算事業団]]は約半分の機能を移転する計画を提示した。これを受けて[[1999年]]1月、大阪府、吹田市、摂津市、[[日本鉄道建設公団]]国鉄清算事業本部(当時)、JR貨物の5者は移転計画に関する基本協定書を締結し、[[鉄道建設・運輸施設整備支援機構]]は[[2005年]]1月、吹田・摂津両市に[[環境アセスメント|環境影響評価書]]を提出し、5者は[[2006年]]2月、吹田貨物ターミナル駅建設事業の着手合意協定書を締結し、[[2007年]][[1月30日]]に起工式が挙行された。
 
事業主体は鉄道建設・運輸施設整備支援機構国鉄清算事業本部であり、梅田駅の機能の約半分が移転される。残り約半分は関西本線[[百済駅]]を全面改修して移転し、両駅の完成後に梅田駅を更地にして処分する。吹田操車場跡地約50.2[[ヘクタール]]のうち貨物駅は27.2ヘクタールを使用し、23ヘクタールはまちづくり用地である。
 
吹田貨物ターミナル駅は、入換え作業なしでコンテナ列車を荷役できる[[着発線荷役方式]]である。施設は、コンテナホーム2面(北側13,300平方メートル、南側22,300平方メートル)、中継コンテナホーム1面24,400平方メートル、駅本屋(鉄筋コンクリート造り4階建て、延べ床面積1,600平方メートル)、倉庫(鉄筋コンクリート造り3階建て、8,000平方メートル)、着発線2線、留置線4線など。
 
年間貨物取扱量は100万トン以内(中継貨物除く)、始発・終着列車は12本以内、車両編成はコンテナ貨車26両以内とし、出入りする貨物関連自動車は1日往復1,000台以内に限定する。貨物専用道路(3.1キロ)も設置する。
 
== 年表 ==
*[[1923年]]([[大正]]12年)[[6月1日]] - [[日本国有鉄道|国有鉄道]]の'''吹田操車場'''開設。
*[[1952年]]([[昭和]]27年)[[6月25日]] - 吹田事件発生。
*[[1968年]](昭和43年)[[6月2日]] - 構内で貨物列車と入換用機関車が正面衝突事故。
*[[1978年]](昭和53年)[[10月2日]] - [[ゴーサントオ|国鉄ダイヤ改正]]により、当時史上最大規模の貨物列車大幅削減。これ以降、取扱貨車両数も大幅に減少する。
*[[1980年]](昭和55年)[[10月1日]] - [[1980年10月1日国鉄ダイヤ改正|国鉄ダイヤ改正]]により、さらに貨物取扱量が削減される。
*[[1982年]](昭和57年)[[11月15日]] - [[大阪貨物ターミナル駅]]への貨物支線が開通。
*[[1984年]](昭和59年)[[2月1日]] - [[1984年2月1日国鉄ダイヤ改正|国鉄ダイヤ改正]]により操車場機能を廃止し信号場に降格、'''吹田信号場'''となる。
*[[1987年]](昭和62年)[[4月1日]] - [[国鉄分割民営化]]によりJR西日本の施設となる。操車場跡地は[[日本国有鉄道清算事業団]]が継承し、梅田駅の施設移転計画が明らかとなる。
*[[2007年]]([[平成]]19年)[[1月30日]] - 吹田貨物ターミナル駅の起工式を開催。
<!--*[[2012年]](平成24年)[[10月8日]] - 吹田貨物ターミナル駅に名称変更。-->
 
== 隣の駅 ==
;西日本旅客鉄道
:東海道本線(貨物専用線、いわゆる「[[はるか (列車)|はるか]]ルート」)
::[[茨木駅]] - ([[千里丘駅]]) - '''吹田信号場'''<!--'''吹田貨物ターミナル駅'''--> - ([[岸辺駅]]) - [[吹田駅 (JR西日本)|吹田駅]]
:*正確には千里丘駅から吹田駅までの間がエリアにあたり、岸辺駅の北側に位置している。ただし前述した通り、岸辺駅とは同一構内として扱われていない。また、千里丘・岸辺の両駅には、貨物線上の施設はない。また、吹田駅自体も貨物線においては場内・出発信号機がなく、書類上の[[梅田貨物線]]および[[北方貨物線]]との接点という形になっている。
;[[日本貨物鉄道]]
:東海道本線貨物支線(大阪ターミナル線)
::'''吹田信号場'''<!--'''吹田貨物ターミナル駅'''--> - (貨)[[大阪貨物ターミナル駅]]
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references/>
 
== 関連項目 ==
*[[日本の貨車操車場]]
 
{{JR京都線}}
{{東海道本線 (大阪府内貨物支線)}}
{{DEFAULTSORT:すいたしんこうしよう}}
[[Category:吹田市の鉄道駅]]
[[Category:日本国有鉄道の信号場|すいた]]
[[Category:西日本旅客鉄道の信号場|すいた]]
[[Category:JR京都線]]
[[Category:東海道本線貨物線・貨物施設]]
[[Category:1923年開業の鉄道駅]]
<!--[[Category:物流]]-->
 
[[ko:스이타 신호장]]