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'''シャルル=フランソワ・ドービニー'''('''Charles-François Daubigny'''
== 生涯 ==
[[パリ]]生まれ。父Edmond François Daubigny、叔父Pierre Daubignyも風景画家であり年少時より教育を受けた。[[1834年]]に[[フォンテーヌブロー]]の森などで作品を制作して以降、多くの土地を旅行してまわり、戸外での観察を重視して風景画を多く描いた。[[1857年]]からは、自身の所有する小舟「ボタン号」をアトリエとして使用し、[[オワーズ川]]や[[セーヌ川]]に浮かべて舟の上から制作する事もあった(このアトリエ舟での制作手法は後に[[クロード・モネ|モネ]]に受け継がれた)。[[1860年]]以降はパリ郊外の[[オーヴェル=シュル=オワーズ]]に住んだ。[[1868年]]には[[サロン・ド・パリ|サロン]](官展)の審査委員を務め、モネなどの後に印象派を形成する事になる若い画家たちを積極的に評価した。[[バルビゾン派]]の一人に数えられ、[[印象派]]につながる重要な先駆けを果たしたと言われる。
1857年に[[レジオンドヌール勲章]]を授与されている
== エピソード ==
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== ギャラリー ==
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[[Category:フランスの画家]]
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