「ダマン・ディーウ連邦直轄領」の版間の差分

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=== ポルトガル領 ===
{{main|{{仮リンク|ポルトガル・マムルーク海戦|en|Portuguese–Mamluk naval war}}|{{仮リンク|ディーウの戦い (1509年)|en|Battle of Diu (1509)|label=ディーウ沖海戦}}}}
ディーウは1535年にポルトガル領となる。ディーウ自体は長さ10km程度の島であり、ポルトガルの要塞として使われた。なお、その対岸にある2つの村もポルトガル領ディーウの一部とされていた。1558年にポルトガル領となったのちは[[木材]]などの積出港、貿易拠点として栄える。[[ポルトガル王国|ポルトガル]]はインドを最初に植民地化した西洋国だが、インド内陸部を支配する能力、動機とも備えておらず、交易の拠点となる商館を維持する政策を取った。最盛期にはインド西岸、南岸を中心に13都市を支配している。なお、18世紀後半からは内陸部の[[ダードラー及びナガル・ハヴェーリー連邦直轄領|ダードラー及びナガル・ハヴェーリー]]もポルトガル領ダマンの一部とされた(ただし、面積・人口ともダマン自体より大きい)。
 
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=== インド連邦直轄地 ===
1961年に[[インド軍]]の侵攻を受けた際({{仮リンク|インドのゴア併合 (1961年)|en|1961 Indian annexation of Goa|label=インドのゴア軍事侵攻}})、対岸にある2つの村もインドに復帰している。
 
== 外部リンク ==