「パータリプトラ」の版間の差分

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== 歴史 ==
パータリプトラにいつ頃から人が住んでいたのかは定かではない。元々は川沿いの小さな村に過ぎなかった。

=== マガダ国 ===
[[紀元前6世紀]]か[[紀元前5世紀]]頃、マガダ国の王[[アジャータシャトル]]が、外征のための拠点として、(特にガンジス川を渡河するために)この地に城を築いた事から整備が進み、河川の合流点に位置し地の利のあるこの都市は急速に発展した。
 
アジャータシャトルの後の王[[ウダーイン]]の時代には旧来の首都[[ラージャグリハ]]([[王舎城]])からパータリプトラに首都が遷され、その後長くマガダ国の首都として繁栄した。
 
=== マウリヤ朝 ===
[[インド亜大陸]]の大半を征服することになる[[マウリヤ朝]]の時代にはパータリプトラの繁栄も頂点に達し、マウリヤ朝の初代王[[チャンドラグプタ (マウリヤ朝)|チャンドラグプタ]]の時代にパータリプトラを訪れた[[ギリシア人]][[メガステネス]]の記録によれば「無数にあるインドの都市の中で最大の都市」であった。
 
しかしマウリヤ朝の第3代王[[アショーカ王|アショーカ]]の後には次第に衰退した。[[チェーティ朝]]の王[[カーラヴェーラ]]や[[インド・グリーク朝]]の王[[メナンドロス1世]]らパータリプトラに脅威を与え、またマガダ国自体の政治的地位も低下していったためである、次第に衰退した
 
=== グプタ朝 ===
[[グプタ朝]]時代([[320年]]から[[550年]]頃)には再び巨大帝国の首都として繁栄の時代を迎えたが、その後次第にインド世界の中心都市としての地位は失われた。