「ウズベク」の版間の差分

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[[20世紀]]に入るとトランスオクシアナのサルトの間から民族運動が起こり、彼らのうちのテュルク系の一派が西トルキスタン南部のテュルク系定住民と遊牧民を包括した民族名称としてウズベクの名を提唱した。ウズベク人概念は[[ソビエト連邦]]のもとで公式に採用され、ソ連の政策的な民族境界確定作業により、現代ウズベク民族が形成された。しかし、現代ウズベク民族とされた人々の中には、[[サマルカンド]]のウズベク人のように、[[ウズベク語]](と名付けられたテュルク語の一種)よりもむしろ[[タジク語]](と名付けられたペルシア語の一種)を[[母語]]とする人々も多く含まれていると言われている。このため、全世界の全ての地域の「民族」は一定の[[発展段階史観|発展段階]]を原住地でたどり現在に至っているという、[[マルクス・レーニン主義]]の公式に基づいたソ連による民族区分の恣意性がしばしば指摘される。
 
ウズベク民族はこのような経緯を経て成立したため、ティムール朝を滅ぼしたウズベクの名を冠した民族が[[ティムール]]を自民族最大の英雄として賞賛するという矛盾が生じている<ref>宇山智彦編著『中央アジアを知るための60章』第2版(エリア・スタディーズ26, 明石書店, 2010年2月)、98-99頁</ref>
 
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==