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|HP=[http://www.nippon-seinenkan.or.jp/dai-hall/hall.htm 日本青年館大ホール]
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'''日本青年館'''(にほんせいねんかん)は、宿泊、レストラン、宴会場、会議場東京・[[神宮外苑]]地区にあり[[ホテル]]や[[ホール]]などの設備を備えた[[東京都]][[新宿区]]霞ヶ丘町7番1号に位置する複合施設で、宿泊、食事、結婚披露宴、各種会議、コンサート、講演会、研修などに使用されてい<ref name="nikkei2013"/>運営者は'''財団法人日本青年館'''が運営している。同法人の[[寄附行為]]の目的であり、{{jdate-y|1925}}謳われるように、[[青年団]]のための施設として設立され開館した<ref>このことは財団法人日本青年団と密接な関係を持つ。現施設は館の[[1979年寄附行為]](昭和54年)に竣工した二代であ的に謳われてい</ref>
 
== 立地 概要==
{{jdate-y|1979}}に改築・完成した現在の施設は地上9階、地下3階建てで、約80室のホテルや1,360名を収容する大ホールなどを備えている<ref name="nikkei2013"/>。その他、館内にはレストラン、宴会場、会議場などがあり、宿泊、食事、結婚披露宴、各種会議、コンサート、講演会、研修などに使用されている。
JR[[信濃町駅]]、JR[[千駄ケ谷駅]]から徒歩約9分、[[東京地下鉄|東京メトロ]][[外苑前駅]]、[[都営地下鉄]][[国立競技場駅]]から徒歩約7分、東京メトロ[[北参道駅]]から徒歩約11分の距離にある。近傍には[[明治神宮野球場|神宮球場]]、[[国立霞ヶ丘陸上競技場|国立競技場]]、[[明治公園]]、[[秩父宮ラグビー場]]、[[聖徳記念絵画館]]、[[神宮外苑]]、[[東京体育館]]、[[新宿御苑]]などがある。
 
東京近郊住者にとっての日本青年館は、特に1,360名収容の大ホールはコンサートホールとしてなじみが深い。も使われる大ホールで知られ、ここではかつて[[TBSテレビ|TBS]]の『[[8時だョ!全員集合]]』や『[[ザ・チャンス!]]』、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」]]』(1979年)など、テレビ番組の公開放送が行われ、現在た。近年においても[[宝塚歌劇団]]の公演やクラシックやアーティストのコンサートなどに使用され、そのキャパシティからライブハウスを中心に活動してきた歌手・アーティストが初めてホールコンサートを開催する際に使用することが多く、[[登竜門]]的存在となっている。
 
日本青年館のホールは、それまでライブハウスを中心に活動してきた歌手・アーティストが初めてホールコンサートを開催する際に使用されることも多いことから[[登竜門]]的存在となっており、アイドルグループ『[[AKB48]]』の初コンサートが開かれたのもこのホールであった。
 
しかし、東京に所在する公演施設としての役割もさることながら、建設の経緯からもわかるとおり一方、全国の[[青年団]]関係者にとっては80年以上にわたる青年団運動の総本山として位置づけられる重要な施設である。館内には日青協の事務局が入居しており、日青協主催行事が同館はここで開催されることが多い。また、特に終戦前後の青年団全国組織の空白期には、日本青年館が全国の青年団を結ぶ役割を果たすなど、施設面だけでなく、青年団を助長する財団としての活動も重要である。現在も[[全国青年大会]]などの日青協との共催事業を始め、職員の雇用や青年問題研究所の活動など、日青協との関わりは深い。
 
また、[[社団法人]][[中央青少年団体連絡協議会]]など各種青少年団体事務局が入居しているほか、青少年の育成に関する事業を展開しており、公営社会教育施設ではないが、社会教育活動である青少年活動に与えた貢献からは、社会教育施設と同じ役割を果たしているといえる。
 
=== 宿泊設備の間取りの特長 ===
同館の宿泊用の客室としては、細長く畳敷きで3~4人用の10畳程度の和室といった[[間取り]]の小部屋が多く、和洋大小81室の宿泊室を持つ。これは、青年団行事において[[青年問題研究集会]]が開催されるため、分科会型式の座談会用小部屋を多数確保するためである。これはビジネスホテルなどの営利企業の宿泊施設ではなく、青年団のための施設として建設されたためである。また、青少年の指導・育成という建設趣旨から、青年団をはじめとする各種青少年層の団体や、修学旅行などの利用が比較的多い。
 
=== 立地 ===
東京都[新宿区]]と[[港区 (東京都)|港区]]にまたがる[[明治神宮外苑|神宮外苑]]地区に位置し、JR[[信濃町駅]]、JR[[千駄ケ谷駅]]から徒歩約9分、[[東京地下鉄|東京メトロ]][[外苑前駅]]や[[北参道駅]]、[[都営地下鉄]][[国立競技場駅]]などから徒歩約7分、東京メトロ[[北参道駅]]から徒歩約11分の距離圏内にある。近傍には[[明治神宮野球場|神宮球場]]、[[国立霞ヶ丘陸上競技場|国立競技場]]、[[明治公園]]、[[秩父宮ラグビー場]]、[[聖徳記念絵画館]]、[[神宮外苑]]、[[東京体育館]]、[[新宿御苑]]などがある。
 
== 沿革 ==
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また、別館として都内[[小金井市]]に「浴恩館」を建設し、そこに青年団指導者養成所を開設した。さらに[[千葉県]][[香取郡]][[大栄町 (千葉県)|大栄町]](現・[[成田市]])に修練場を開設し、農業指導などに活用した。
 
== 二代目現在の日本青年館(二代目)の建設まで ==
現在の日本青年館は、{{jdate-y|1979}}に竣工した二代目である。
昭和40年代に入ると、施設の老朽化が指摘されるようになり、年ごとに高まる顧客のニーズに応えられず経営は赤字に転落した。
 
{{jdate-y|1925}}に完成した初代日本青年館の老朽化したことから、<!--昭和40年代に入ると、施設の老朽化が指摘されるようになり、年ごとに高まる顧客のニーズに応えられず経営は赤字に転落した。-->[[1971年]](昭和46年)になると日本青年館評議員会内に「館建設構想特別委員会」が発足、翌年[[1972年]](昭和47年)にはその発展形である「日本青年館新館建設委員会」が発足され、として具体的な新館建設に向けて動き計画スタートし開始された。
 
一方、[[日本青年団協議会]](日青協)でも「日本青年館は全国青年団運動の拠点である」という認識の下、その動きに呼応して同年「新館建設日青協特別委員会」を設け、[[1974年]](昭和49年)、新館建設のために[[1975年]](昭和50年)末までに各道府県青年団1,100万円、計5億円の募金を集める等の新館建設運動方針を決定した。
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そして1979年(昭和54年)[[2月1日]]、[[常陸宮正仁親王]]臨席のもと竣工式が執り行われ、総工費54億円、地上9階地下3階の2代目の日本青年館が誕生した。
 
==建て替え計画(三代目)==
=== 宿泊設備の間取りの特長等 ===
現在の日本青年館は、道路を隔てた北側に[[国立霞ヶ丘陸上競技場]](国立競技場)と隣接しているが、同競技場は{{jdate-y|2019}}までに改築、現在の日本青年館の敷地部分までに施設が拡張される計画である<ref name="nikkei2013"/>。これに対して日本青年館は、「国家的なプロジェクトに協力する」として移転に応じ、現在の二代目施設は{{jdate-y|2014}}度に取り壊されることとなった<ref name="nikkei2013"/>。
同館の宿泊用の客室としては、細長く畳敷きで3~4人用の10畳程度の和室といった[[間取り]]の小部屋が多く、和洋大小81室の宿泊室を持つ。これは、青年団行事において[[青年問題研究集会]]が開催されるため、分科会型式の座談会用小部屋を多数確保するためである。これはビジネスホテルなどの営利企業の宿泊施設ではなく、青年団のための施設として建設されたためである。また、青少年の指導・育成という建設趣旨から、青年団をはじめとする各種青少年層の団体や、修学旅行などの利用が比較的多い。
 
=== 用途、存在意義 ===
東京近郊在住者にとって、特に1,360名収容の大ホールはコンサートホールとしてなじみが深い。かつては[[TBSテレビ|TBS]]の『[[8時だョ!全員集合]]』や『[[ザ・チャンス!]]』、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の『[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」]]』(1979年)などの公開放送が行われ、現在も[[宝塚歌劇団]]の公演やクラシックやアーティストのコンサートなどに使用され、そのキャパシティからライブハウスを中心に活動してきた歌手・アーティストが初めてホールコンサートを開催する際に使用することが多く、[[登竜門]]的存在となっている。
 
しかし、東京に所在する公演施設としての役割もさることながら、建設の経緯からもわかるとおり、全国の青年団関係者にとっては80年以上にわたる青年団運動の総本山として位置づけられる重要な施設である。館内には日青協の事務局が入居し、日青協主催行事が同館で開催されることが多い。また、特に終戦前後の青年団全国組織の空白期には、日本青年館が全国の青年団を結ぶ役割を果たすなど、施設面だけでなく、青年団を助長する財団としての活動も重要である。現在も[[全国青年大会]]などの日青協との共催事業を始め、職員の雇用や青年問題研究所の活動など、日青協との関わりは深い。
 
また、[[社団法人]][[中央青少年団体連絡協議会]]など各種青少年団体事務局が入居しているほか、青少年の育成に関する事業を展開しており、公営社会教育施設ではないが、社会教育活動である青少年活動に与えた貢献からは、社会教育施設と同じ役割を果たしているといえる。
 
新たな施設は神宮外苑地区の南寄りに移動、[[テニスコート]]の跡地に建設される予定で、敷地面積は6,800平米である。新施設は、同じく移転・改築が決定されている[[日本スポーツ振興センター]]と一体的に整備され、地上17階、述べ床面積4万平米規模となる計画<ref name="nikkei2013">日本青年館建て替えへ・神宮外苑のホテル・ホール・「五輪」会場の近さ売りに 『日本経済新聞』 平成25年3月6日朝刊</ref>。一方、100億円超とみられる事業費の負担詳細については未定となっている<ref name="nikkei2013"/>。
<!--== 今後の懸念 ==
過去の初代、2代目の建設時とも、青年団の為の会館を青年団が主体的に建設するという理念をもって青年団による募金活動等の運動が行われてきた。しかし、その建設母体である青年団が衰退化しつつあり、次回の立て替え時にはどのような取り組みが出来るのかが懸念される。-->
== 全国青年会館協議会 ==
日本青年館を含む全国30館の道府県青年会館で、全国青年会館協議会が構成されている。これらの青年会館は、青年団等が募金活動などを行って建設されたものであり、青年団等の事務局が置かれ、活動拠点として活用されるほか、宿泊、研修などの施設として機能している。
 
==脚注==
== 今後の懸念 ==
<references />
過去の初代、2代目の建設時とも、青年団の為の会館を青年団が主体的に建設するという理念をもって青年団による募金活動等の運動が行われてきた。しかし、その建設母体である青年団が衰退化しつつあり、次回の立て替え時にはどのような取り組みが出来るのかが懸念される。
 
== 参考文献 ==
* 工事画報社、大正14年(1925年)11月 『[http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/01_09.html 土木建築工事画報 第1巻第9号]』
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== 関連項目 ==
*[[青年団]]
*[[全国青年大会]]
*[[石川県青年会館]]