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'''中谷 勇介'''(なかたに ゆうすけ、[[1978年]][[9月22日]] - )は、[[京都府]][[宇治市]]出身のプロ[[サッカー選手]]。ポジションは[[ディフェンダー (サッカー)|ディフェンダー]](サイドバック)、[[ミッドフィールダー]]。夫人は[[ファッションモデル]]の[[エイミー・ハードウィック]]。
 
== 人物 ==
高校時代の2年先輩に[[楢崎正剛]]、同級生に[[矢部次郎]]、[[東幸一]]がいる。
=== エピソード ===
* 中学時代に[[駅伝]]で全国大会に出場した経験がある。
* 3日前に母を亡くし実家で葬儀が行われる中、京都サンガのJ1昇格決定試合(2007年12月)に出場した。普段以上に厳しい表情でピッチを走り回りチームを奮い立たせ「強い心で戦ってくれた」「悲しみをこらえ、プロとして素晴らしいプレーを見せてくれた」とチームメイトから称えられた<ref>2007年12月9日付京都新聞</ref>。
* 名古屋時代のチームメイトだったFWマルケスが名古屋を退団する時に、「彼を[[ブラジル]]に連れて行きたい」と評した。
* 名古屋在籍時、キャンプ中[[トンビ]]に携帯を奪われたという珍エピソードを持つ。
* 2008年は、守備的な番号である[[背番号]]4を背負っていたが、本人が攻撃的な印象を持ってプレーをしたいということから、チームメイトのDF[[水本裕貴]]と交換という形で背番号8をつけた。
 
== 所属クラブ ==
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* U-21日本代表
** アジア大会 (1998年)
 
== エピソード ==
* 中学時代に[[駅伝]]で全国大会に出場した経験がある。
* 3日前に母を亡くし実家で葬儀が行われる中、京都サンガのJ1昇格決定試合(2007年12月)に出場した。普段以上に厳しい表情でピッチを走り回りチームを奮い立たせ「強い心で戦ってくれた」「悲しみをこらえ、プロとして素晴らしいプレーを見せてくれた」とチームメイトから称えられた<ref>2007年12月9日付京都新聞</ref>。
* 名古屋時代のチームメイトだったFWマルケスが名古屋を退団する時に、「彼を[[ブラジル]]に連れて行きたい」と評した。
* 名古屋在籍時、キャンプ中[[トンビ]]に携帯を奪われたという珍エピソードを持つ。
* 2008年は、守備的な番号である[[背番号]]4を背負っていたが、本人が攻撃的な印象を持ってプレーをしたいということから、チームメイトのDF[[水本裕貴]]と交換という形で背番号8をつけた。
 
== 脚注 ==