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=== 維新後 ===
維新後は[[慶応]]4年([[1868年]])2月に[[徴士]]として参与[[内国事務局]]判事となり、同年閏4月には[[大津県]]知事に転じたが、早くも同じ[[明治]]元年(1868年=改元)11月には罷免されている。翌明治2年([[1869年]])9月、復古功臣34人の一人として永世禄400石を下付され、明治3年([[1870年]])8月に待詔下院に出仕し同閏10月には辞任した後は、もはや新政府の中枢に据えられることはなかった。明治13年([[1880年]])には他の旧広島藩家老とともに「広島士族授産所」(のち[[同進社]])を設立、困窮する旧[[士族]]の授産事業を進めた。[[1890年]]6月、[[元老院 (日本)|元老院]]議官に任じられ[[従四位]]・[[男爵]]に叙されて[[華族]]に列せられた。同年10月元老院廃止にともない[[麝香間祗候]]を仰せつけられた。[[1894年]]1月4日死去(享年72)。特旨をもって正四位に叙せられた。
 
== 墓所 ==