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==沿革==
[[東京]]に本社を置く鐘淵紡績は[[淡路紡績]]を買収して[[1900年]]([[明治]]33年)に洲本町(当時)山手で操業を開始した。その8年後の[[1908年]](明治41年)に同町塩屋に20ヘクタールの土地を確保して工場を移転する。昭和初期までに全て赤レンガ建築の第一、第二、第三、第四、第五工場(面積32,700平方メートル)が竣工。これらの工場跡地が、[[20世紀]]末から[[21世紀]]初めにかけ洲本市新都心ゾーンとして整備されている地区にあたる。当地区における整備計画推進にあたっては、土地所有者である鐘紡とカネボウ電子の意向を受けて、樹木の保存を最優先している。地区内にある赤レンガ建築群は、[[経済産業省]]の近代化産業遺産に認定されている。
 
===年表===