「インディアン戦争」の版間の差分

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[[クレイジー・ホース]]らが参加した、インディアンの連合軍が[[ジョージ・アームストロング・カスター|カスター中佐]]の第7騎兵隊を撃退全滅させるなどの戦果もあったが、[[ジェロニモ]]の降伏や[[ウンデット・ニーの虐殺]]以降、インディアンによる軍事的な反乱はなくなった。代って、20世紀になってからの「[[w:Red Power movement|レッド・パワー運動]]」に代表される、権利回復要求運動が現代のインディアン戦争となった。黄金に代わってウラニウムや石炭、水といった保留地の地下資源が、合衆国の収奪対象となった。現代の「インディアン戦争」は、地下資源の収奪と環境汚染、そして「[[西部劇]]映画」や「[[インディアン・マスコット]]」問題に象徴されるメディアやスポーツにおける歪曲された民族イメージの[[ステレオタイプ]]化が大きなテーマとなっている<ref>『Sports Talk (A Longman Topics Reader) 』(Chapter 4:OF POLLS AND RACE PREJUDICE Sports Illustrated "Errant 'Indian Wars'",Longman 2008年) </ref>。
 
1973年に[[スー族]]保留地内の「[[ンデッ・ニー]]」で、オグララ・スー族と「[[アメリカインディアン運動]] (AIM)」が同地を占拠し、「オグララ国」の独立宣言を行った「[[{{仮リンク|ンデット・ニ事件|en|Wounded Knee incident|label=ウンデッド・ニー占拠抗議]]}}」(のちの連邦裁判で完全合法判決を受けた)では、全米のインディアンが応援参加し、非武装のインディアンたちに対して合衆国とサウスダコタ州が戦車や戦闘ヘリまでを投入した、一大軍事衝突となった。
 
2003年、100年近くに及ぶインディアンたちの要求運動によって、「[[リトルビッグホーンの戦い]]」の主戦場が「カスター国立記念戦場」から「リトルビッグホーン国立記念戦場」に名称変更された。同時に「インディアン戦争」を戦ったインディアンたちの「インディアン記念碑」が建立され、地図と解説の書かれた石壁が設置された。この石壁には次のような文言が彫り込まれている。