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2002年6月に[[TNA]]のPPVに'''フライング・エルヴィスズ'''(''The Flying Elvises'')として[[ジミー・ヤン]]、[[ホルヘ・エストラーダ]]と共にPPVに登場しているが、エルヴィスズは8月に分割され、シングルへ転向している。11月には[[ジェリー・リン]]を破って[[TNA Xディヴィジョン王座]]を獲得しており、2003年2月に[[デビッド・キャッシュ|キッド・キャッシュ]]に敗れるまでタイトルを維持していた。7月には[[ディーロ・ブラウン]]と抗争を経て[[エディ・ファトゥ|エクモ]]とタッグ活動を開始するようになるも、エクモが[[太陽ケア]]の誘いにより[[全日本プロレス]]に参戦するようになったために自然解散する。
 
2004年4月に[[サイモン・ダイアモンド]]と組み[[ディスコ・インフェルノ|グレン・ギルバーティ]]と[[ジョニー・スウィンガー]]と抗争をし、2005年に入ると[[ジャーマン・フェゲロヤ|アポロ]]とタッグを組むようになる。4月のLockdownでは[[ランス・ホイット]]と[[クリス・キャンディード]]とスチール・ケージマッチで対戦している。その後は'''ダイアモン・イン・ザ・ラフ'''(''Diamonds in the Rough'')との抗争をベースに活動していた。12月に契約が切れると再契約をせずにそのまま離脱している。
 
TNA離脱後はシアキは[[WWE]]と契約、2006年2月に下部組織の[[DSW]]でデビューするも負傷していしまう。同月下旬に'''コックー・シアキ'''(''Cocky Siaki'')のリングネームで復帰、[[エリック・ペレス]]とタッグを組むようになり11月には[[DSWタッグチーム王座]]を獲得している。タイトル陥落後はエリックは[[WWE・ロウ|RAW]]のハウスショーで働くようになったため、[[アファ・アノアイ・ジュニア]]とタッグを組むようになったが再び負傷したためツアーから離脱してしまっている。アファ・ジュニアとは2007年4月近くまで続いた。DSW離脱後にアファと'''サモアン・ファイト・クラブ'''(''The Samoan Fight Club'')としてWWEの下部組織の[[FCW (プロレス)|FCW]]で再デビューするが、9月中旬に下部組織からリリースが発表された。リリースの理由はレスリングの問題ではなく、個人の問題とシアキ自身が発表した。
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* [[バックブリーカー#バック・スタバー|ダブル・ニー・バックブリーカー]]
* [[ボディ・スラム#パンプハンル|パンプハンドル]]式[[スープレックス]]
* [[フェイス・バスター#コンプリートショット|リバースSTO]]
* [[バックフリップ|サモアン・ドロップ]]
* [[ネックブリーカー#スイング式ネックブリーカー|スナップ式スウィンキング・ネックブリーカー]]
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; NWA Wrestle Birmingham
* NWA Wrestle Birminghamタッグチーム王座 :1回(w/[[エリック・スキッパー]])
 
; SWF(Swiss Wrestling Federation)