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'''松平 信成'''(まつだいら のぶしげ)は、[[上野国|上野]][[吉井藩]]の第5代藩主。[[鷹司松平家]]7代。
 
明和4年(1767年)8月27日、第3代藩主・[[松平信有]]の次男として生まれる。[[安永]]4年([[1775年]])に第4代藩主・[[松平信明 (吉井藩主)|松平信明]]が死去したため、その養子となって[[家督]]を継ぐ。藩政では[[天明]]元年([[1781年]])に絹糸運上事件による打ちこわしや天明3年([[1783年]])の)4月1日、将軍[[天明の大飢饉徳川家治]]に拝謁す被害などで多難であったなお同年12月18日この年に[[従四位]]下[[侍従]]・左兵衛佐に叙位・している。後に左兵衛督に改める。
 
藩政では天明元年([[1781年]])に絹糸運上事件による打ちこわしや天明3年の[[天明の大飢饉]]による被害などで多難であった。
 
寛政12年(1800年)2月13日、家督を養子の[[松平信充|信充]](信明の次男)に譲って[[隠居]]する。その直後の4月19日に死去した。享年34。