「川本良平」の版間の差分
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Sotetsuyama (会話 | 投稿記録) m 移籍についての出典外部リンクを追記しました。 |
rv NPBからの公表を待ってください |
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{{BLP unsourced|date=2011年7月25日 (月) 16:07 (UTC)}}
{{注意|所属球団の記載及び消去については、'''[http://www.npb.or.jp/players/ NPB]による正式公示'''が行われるまでお控え下さい。}}
{{Infobox baseball player
|選手名 = 川本 良平
|英語表記 =
|所属球団 =
|背番号 =
|選手写真ファイル名 = YS-Ryohei-Kawamoto.jpg
|写真のコメント = ヤクルト時代
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* [[崇徳中学校・高等学校|崇徳高等学校]]
* [[亜細亜大学]]
* [[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ<br />東京ヤクルトスワローズ]] (2005 - <!--2013-->)
<!--* [[千葉ロッテマリーンズ]] (2013 - )-->
|選出国 =
|選出年 =
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|選出方法 =
}}
'''川本 良平'''(かわもと りょうへい、[[1982年]][[4月28日]] -)は、[[
== 来歴・人物 ==
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{{by|2007年}}も二軍スタートとなったが、開幕から好調を維持し、俊足を活かして外野にも挑戦。打撃もファームでは力上位と言いうる存在になってきており、シーズンも半ばを終えた7月頭には、打率・打点・本塁打・盗塁・得点の5部門でチームトップの成績を残し、その事が評価され一軍に昇格した。[[7月7日]]の対[[読売ジャイアンツ|巨人]]戦で一軍初出場初スタメンを果たし、5回に[[深田拓也]]から放った初安打がプロ初本塁打(3点本塁打)となり、さらにその試合で投手陣を好リードして完封リレーに導くなど、鮮烈なデビューを飾った。[[7月19日]]には、2年前に辞退したフレッシュオールスターに5番[[一塁手]]で出場。その後8月半ばから一軍捕手のスタメンに定着し、打率こそ.208と低いものの、最終的に51試合出場、7本塁打、6盗塁、19打点の活躍を見せた。また二軍では打率.315、6本塁打、12盗塁を記録した。
{{by|2008年}}は3年ぶりの一軍キャンプでの始動となったが、[[2月8日]]に全治一
{{by|2009年}}は[[横浜ベイスターズ|横浜]]から[[フリーエージェント (日本プロ野球)|FA]]により新加入した[[相川亮二]]により、正捕手争いが更に激化。結果として第二・第三捕手としてベンチを暖めることが多い中、[[8月7日]]の巨人戦で自身初の満塁本塁打を放ち、[[クライマックスシリーズ|CS]]争いが激しく繰り広げられていた最中に相川がわき腹の肉離れにより離脱。残り試合のマスクをかぶることになり、[[10月6日]]からの6連勝、およびCS出場に貢献した。10月8日の[[阪神タイガース|阪神]]戦では大きな追加点となる3号2ラン本塁打などシーズン終盤で大きな働きをみせた。
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{{by|2012年}}は[[中村悠平]]の台頭に伴い出場機会が激減した。
{{by|2013年}}[[3月25日]]に[[田中雅彦]]との交換トレードで[[千葉ロッテマリーンズ]]への移籍が発表される。<ref>[http://www.yakult-swallows.co.jp/information/detail.php?article_seq=15785 トレード成立のお知らせ]
== プレースタイル ==
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=== 背番号 ===
* '''28''' (2005年 - 2013年)
=== 登場曲 ===
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* Butterfly(Delaction Remix) - [[Smile.D]]
== 脚
<references/>
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* [[亜細亜大学の人物一覧]]
* [[東京ヤクルトスワローズの選手一覧]]
* [[内田俊雄]] - [[亜細亜大学硬式野球部]]監督
{{
{{ヤクルトスワローズ2004年ドラフト指名選手}}
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[[Category:亜細亜大学硬式野球部の選手]]
[[Category:東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手]]
[[Category:広島県出身の人物]]
[[Category:1982年生]]
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