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'''岐山県'''(きさん-けん)は[[中華人民共和国]][[陝西省]][[宝鶏市]]に位置する[[県 (中華人民共和国)|県]]。
 
県内の東北部にある「箭括嶺」という山には、峰が二つあって向かい合っており、山頂が二つに分岐していることから「岐山」の名がついた。
==歴史==
 
[[569年]]([[天和 (北周)|天和]]4年)、[[北周]]により'''三竜県'''が設置される。[[596年]]([[開皇]]16年)に'''岐山県'''と改称された。
== 地理 ==
岐山県の中心地(県城)は[[西安市]]から西に135キロメートル、宝鶏市中心部からは東へ60キロメートル離れている。南部は[[秦嶺山脈]]になっており、中部が平地である。
 
== 歴史 ==
岐山は、伝説上は[[炎帝]]([[神農]]氏の部落連盟の首領の名称)が本拠とした場所とされる。
 
岐山は[[周]]王朝の発祥の地でもある。[[古公亶父|周太王]](周王朝初代の[[武王 (周)|周武王]]の曽祖父)が岐山のふもとに遷ってから[[平王 (周)|周平王]]が東の洛邑へ遷るまでの400年間近くの間、岐山は西周の中心地であった。周公廟や鳳雛遺跡があり、周朝の文物が数多く出土するが、特に[[青銅器]]が知られている。
 
[[487年]]([[北魏]]の太和十一年)に'''[[岐州]]'''(州治は現在の[[鳳翔県]]の南部)が置かれ、3郡9県を支配した。[[平秦郡]](郡治は現在の鳳翔県南部)の[[周城県]](太平真君六年に設置)が岐山の東部を、橫水県(太平真君十年に周城県から分離)が岐山の西部を、[[武都郡]](郡治は現在の宝鶏市の東)の[[平陽県]](太平真君六年に設置)が岐山の南部を、[[武功郡]]の美陽県が岐山の東北部をそれぞれ管轄した。
 
[[569年]]([[北周]]の[[天和 (北周)|天和]]4年)、[[涇州]]の鶉觚県の南部を分割して'''三竜県'''が設置される。県治は岐陽鎮(現在の岐陽村)に置かれていた。[[596年]]([[隋]]の[[開皇]]16年)に'''岐山県'''と改称され、県治はそれまでの県治の西方(現在の鳳鳴鎮)に移転された。[[唐]]代の天文学者[[李淳風]]も岐山の人である。
 
==行政区画==
{{DEFAULTSORT:きさん}}
[[Category:陝西省の行政区画]]
 
[[de:Qishan]]
[[en:Qishan County]]
[[fr:Xian de Qishan]]
[[ko:치산 현]]
[[no:Qishan]]
[[vi:Kỳ Sơn, Bảo Kê]]
[[zh:岐山县]]