「イブラーヒーム・パシャ」の版間の差分

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*1809年 人質として[[イスタンブル]]に送られ、帝国の混迷をみて幻滅する。
*1810年 エジプトに戻り、財務長官になる。財政基盤の確立に貢献する。
*1818年 {{仮リンク|オスマン・サウジ戦争|en|Ottoman–Saudi War|label=アラビア戦役}}に従軍。遠征軍の司令官になり、すぐれた軍事的才能を発揮する。[[第一次サウード王国]]を攻略、滅亡させる。
*1832年 {{仮リンク|エジプト・オスマン戦争(1831年-1833年)|en|Egyptian–Ottoman War (1831–1833)|label=第1次シリア戦役}}([[エジプト・トルコ戦争]])で活躍。
*1818年 [[第一次サウード王国]]を攻略、滅亡させる。
*1832年 [[エジプト・トルコ戦争|第1次シリア戦役]]で活躍。
*1833年 [[歴史的シリア|シリア]]の統治者となる。近代化政策を敷くが地元の反発を招いた。
*1839年 {{仮リンク|エジプト・オスマン戦争 (1839年-1841年)|en|Egyptian–Ottoman War (1839–1841)|label=第2次シリア戦役}}を勝利に導く。
*晩年 ヨーロッパ諸国を歴訪して大歓迎を受ける。
*1848年 父親の後を継ぐが、11月に病死する。子の[[イスマーイール・パシャ|イスマーイール]]は幼い為、甥の[[アッバース・パシャ]]が後を継いだ。