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'''ゴータ綱領批判'''(ゴータこうりょうひはん、[[ドイツ語|独]]:Kritik des Gothaer Programms、[[英語|英]]:Critique of the Gotha Program)は、[[1875年]]5月に[[カール・マルクス]]が、[[ドイツ]][[社会民主主義]]運動の中でマルクスや[[フリードリヒ・エンゲルス]]に近い、「[[アイゼナハ]]派」に書いた手紙を中心とした文書である。
 
1875年、この手紙の名称ある都市[[ザクセン=コーブルク=ゴータ公国]]の[[ゴータ]]で、党会議が開催された。その会議で「アイゼナハ派」は、後に強力な[[アウグスト・ベーベル]]らのドイツ社会民主労働]]とな(いわゆ統一党「アイゼナハ派」)が会議形成するために開いて[[フェルディナント・ラッサール|]]らの全ドイツ労働者協会(「ラサール]]派」との合同・統一党結成計画決定した。アイゼナハ派は統一党のための綱領草案をマルクスに送りコメントを求めた。マルクスは綱領草案に[[フェルディナント・ラッサール]]の理論による否定的な影響を発見した。マルクスは見出し、サール政府への譲歩のために労働者運動の要望を制限しようと意図する日和見主義者とみなしていた。綱領案に対するコメントとしてマルクスは手紙「ドイツ労働者党綱領評注」を返信送付した。しかし、マルクスの文書は公表されず、1875ぬまま同年5月の後半には、ゴータでアイゼナハ・ラサール両派の会議が開かれ、綱領草案はわずかな修正のみで可決し統一党として[[ドイツ社会民主党]]が結党された。
「ゴータ綱領批判」は長く、マルクスの最も詳細な[[革命]]戦略の組織論の宣言であり、「[[プロレタリア独裁]]」 や、[[資本主義]]から[[共産主義]]への過渡期や、[[プロレタリア]][[国際主義]]や、[[労働者階級]]の政党について議論した文書であるとされてきた。
 
「ゴータ綱領批判」は長く、マルクスの最も詳細な[[革命]]戦略の組織論の宣言であり、「[[プロレタリア独裁]]」 や、[[資本主義]]から[[共産主義]]への過渡期や、[[プロレタリア]][[国際主義]]や[[労働者階級]]の政党について議論した文書であるとされてきた。
この文書はまた、資本主義からの移行の直後の共産主義社会の低い段階では「各人は能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」、そして将来の共産主義社会の高い段階では[[「各人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」]]などの、のちに[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]が定式化した〈原則〉である二段階発展論を明示した文書と読まれてきた。低い段階での記述では「個人は社会から、与えただけ正確に受け取る」と述べている。また、資本主義社会から社会主義社会への過渡期における国家をプロレタリア独裁とした。この「ゴータ綱領批判」は、彼の死後に出版され、マルクスの最後の主要文書の一つとなった。
 
この文書はまた、資本主義からの移行の直後の共産主義社会の低い段階では「各人は能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」、そして将来の共産主義社会の高い段階では[[「各人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」]]などの、のちに[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]が定式化した〈原則〉である二段階発展論を明示した文書と読まれてきた。低い段階での記述では「個人は社会から、与えただけ正確に受け取る」と述べている。また、資本主義社会から社会主義社会への過渡期における国家をプロレタリア独裁とした。この「ゴータ綱領批判」は、彼の死後に出版され、マルクスの最後の主要文書の一つとなった。
1875年、この手紙の名称にある都市の[[ゴータ]]で、党会議が開催された。その会議で「アイゼナハ派」は、後に強力な[[ドイツ社会民主党]]となる統一党を形成するために、「[[フェルディナント・ラッサール|ラサール]]派」との合同を計画した。アイゼナハ派は、統一党のための綱領草案をマルクスに送りコメントを求めた。マルクスは綱領草案に、[[フェルディナント・ラッサール]]の理論による否定的な影響を発見した。マルクスはラッサールを、政府への譲歩のために労働者運動の要望を制限しようと意図する、日和見主義者とみなしていた。マルクスは手紙「ドイツ労働者党綱領評注」を返信した。しかし、マルクスの文書は公表されず、1875年5月の後半には、ゴータで会議が開かれ、綱領草案はわずかな修正のみで可決された。
 
この手紙は、かなり後の1891年、ドイツ社会民主党が新綱領である[[エアフルト|エルフルト]]綱領の採用の意向を宣言した際に、これを批判したエンゲルスが、公開し出版した。またエンゲルスは[[エルフルト綱領批判]]を書いて出版した。