「西ドイツ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Addbot (会話 | 投稿記録)
m ボット: 言語間リンク 67 件をウィキデータ上の d:q713750 に転記
66行目:
{{main|連合軍軍政期 (ドイツ)}}
[[Image:Deutschland Besatzungszonen 8 Jun 1947 - 22 Apr 1949.svg|thumb|left|[[1945年]]以降、ドイツの分割占領]]
[[1945年]][[5月8日]]に[[第二次世界大戦]]に敗北した[[ナチス・ドイツ|ドイツ]]は、7月の[[ポツダム会談]]によって[[アメリカ合衆国|米]][[ソビエト連邦|ソ]][[イギリス|英]][[フランス|仏]]の4カ国による分割統治と非武装化・[[非ナチ化]]政策を受けることになった。しかし、[[イデオロギー]]対立による[[冷戦]]の開始と共に、米英仏とソ連は対立を深め、[[アメリカ軍|米軍]]占領地区と[[イギリス軍|英軍]]占領地区は占領円滑化のため合同して[[バイゾーン]](Bizone、後に[[フランス軍|仏軍]]占領地区とも連合しトライゾーン Trizone となる)を形成、[[ソビエト邦軍占領地域|ソ連軍]]占領地区]]との亀裂が深まった。
 
東西の亀裂が決定的となったのは、[[1948年]][[6月21日]]、英米仏各占領地区で独自に発行されていた[[通貨]]([[ライヒスマルク]]や[[レンテンマルク]])を統合してトライゾーンでの統一通貨([[ドイツマルク]])を発行し、戦後の[[ハイパーインフレーション]]を収拾する通貨改革を発表したときだった。これはソ連側が[[6月24日]]に発行を計画していた新通貨・[[東ドイツマルク]]に対抗する措置でもあった。排除されたソ連側は3日後、予定通り東ドイツマルクを発行し、これが東西分裂の象徴になった。ソ連はドイツマルクを使用する[[西ベルリン]]を経済封鎖し、[[西側諸国|西側]]は大空輸作戦で[[1949年]][[5月12日]]までの11か月間西ベルリンを支えた([[ベルリン封鎖]])。