「ブルーエンジェルス」の版間の差分

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次の年、彼らは[[テキサス州]]の[[コーパスクリスティ (テキサス州)|コーパスクリスティ]]海軍航空隊基地で再編成され、機体もパンサーの改良版であるF9F-5 パンサーに移行した。復活後初のショーは、6月19日の[[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]]に於けるミッドサウス航空祭であった。ここに本拠地を置いている間に、パンサーの主翼を後退翼に改良した[[F9F (航空機)#F9F-6,-7,-8|F9F-8 クーガー]]に進化している。[[1954年]]冬、本拠地を現在のペンサコーラ海軍航空基地に移転するまで、ここを本拠地としている。[[1956年]]には、初の国外遠征として[[カナダ]]・[[トロント]]でショーを行っている。
 
続く20年の間に、ブルーエンジェルスは2回の機体の移行を行っている。グラマン[[F-11 (戦闘機)|F11F-1 タイガー]]([[1957年]]。[[1959年]]より機首を延長した後期型に更新)、そして[[マクドネル・ダグラス]]社の[[F-4 (戦闘機)|F-4J ファントムII]]([[1969年]])である。[[1971年]]秋には、創設25周年を記念した[[極東]]ツアー([[大韓民国|韓国]]・[[日本]]・[[台湾]]・[[フィリピン]]・[[グアム]])の一環として日本を訪れ、[[航空自衛隊]][[小牧基地]]でショーを行っている<ref>「国際航空宇宙ショー」の一環で展示飛行を行うものの、F-4自体ジェットエンジン音が大きくそれが4機で編隊を組み超低空をエンジンパワーをかけながらアクロバット飛行する騒音と振動で近隣住民から「窓ガラスが割れた」「屋根瓦がずれた」などの苦情が同基地に殺到し、展示飛行は1回のみ。</ref><ref>小牧基地での展示飛行が消化不良だったため、帰国の際経由地の[[三沢基地]]で非公式の展示飛行を行った。</ref><ref>帰国の際メンバーの一人は「二度と日本でやるか!!」と捨て台詞を吐いたと言われている。そのためかどうかは不明だが、これ以降、一度も日本には来ていない。</ref>。
また、[[1961年]]12月からは、日本でブルーエンジェルスを舞台にしたテレビドラマ「[[ジェットパイロット]]」が放送されている。[[1970年]]の[[中央アメリカ]]([[プエルトリコ]]・[[パナマ]]・[[エクアドル]])[[ハワイ州|ハワイ]]ツアーの様子は、記録映画「[[ブルーエンゼル]]」として劇場公開された。