「有馬貴純」の版間の差分

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'''有馬 貴純'''(ありま たかずみ、生没年不詳)は[[肥前国|肥前]]の[[戦国大名]]。[[有馬氏澄]]の子。[[有馬尚鑑]](ひさあき、「尚」字は将軍足利義尚から賜ったものと思われる)、[[長崎康純]](やすずみ)、女子([[大村純伊]]妻)の父。父の代まで「澄」の字を使用していたため、'''貴澄'''(読み同じ)とも書く。官位は肥前守。左近将監。
 
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]前期の[[肥前有馬氏|有馬氏]]の当主で、有馬氏の戦国大名化に尽力している。[[日野江城]]を本拠として高来郡を制圧し、さらに藤津、杵島の両郡を併合する。そして[[江戸時代]]前期の[[島原の乱]]で有名になった[[原城]]を築城し、[[龍造寺氏]]台頭前の肥前に最大版図を築き上げたのである。[[1494年]]には領地から追われた[[少弐政資]]を助けている。没年は分かっていないが、12月3日に64歳で死去したらしい。一部の事跡については子の尚鑑の代の事件とされることもある。
 
[[大村氏]]の[[大村純前]]の外祖父に当り、その縁もあって、曾孫の一人である[[大村純忠|純忠]]が後に大村氏当主となっている([[大村純忠]])