「國本良博」の版間の差分

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[[亜細亜大学]]を卒業し、1973年に静岡放送(以降SBSと表記)へ入社後、SBSのテレビ・ラジオの両方でアナウンサーとパーソナリティーを務める。2009年12月25日にSBSを定年により退社し、以後も引き続きパーソナリティーとしてSBSの番組に出演。2013年3月まで[[GOGOワイドらぶらじ#GOGOワイド くんちゃんのらぶらじ|GOGOワイド くんちゃんのらぶらじ]]に出演した。
 
2013年4月より、[[静岡第一テレビ]]<!--「静岡だいいちテレビ」は誤記。-->(SDT)の帯ワイド番組[[静岡○ごとワイド|○ごとワイド]](静岡○ごとワイドより改題・月 - 金16:45 - 1945~19:00)へレギュラー出演。SBS退社後、他局番組へのレギュラー出演はこれが初である
 
ニックネームはヤング向けDJ番組の担当当初は名字から「クニちゃん」であったが、局アナ時代の後輩・荻島正己が、「言いにくい」との理由から「クンちゃん」と変更し、浸透していったものである。
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[[ヤマハポピュラーソングコンテスト]]東海大会では司会を務めた他歌手としても出演したことがあり、その時に歌った「長老カモメの伝説」は非売品ながらレコード化されている。1977年、第4回[[飛び出せ!全国DJ諸君]]企画賞受賞。また、[[アノンシスト賞]]を3度受賞。
 
知り合いであった[[北嶋興]](当時[[静岡第一テレビ]]アナ)との絡みから、同局の情報バラエティ番組「[[JanJanサタデー]]」に一度だけゲスト出演したことがある。
 
國本のエピソードとして大変有名なものがある。それはローカルニュース(「[[朝一番!SBSニュースワイド]]」、1986年10月〜1989年9月。詳細な時期は不明)の本番中に[[鼻血]]を出しながらニュースを読んだことである<ref>この「朝一番!SBSニュースワイド」は、アナウンサー1人で30分間の生放送を進行するため、フォローする出演者がいなかったことも、國本にとっては災難であった。<br/>余談だが、当時のスタジオには國本以外にはフロアディレクターとカメラマンしかおらず、スタジオも副調整室もパニックになったそうである。</ref>。過去に[[Japan News Network|JNN]]系列で放映された[[NG]]特番でも度々その映像が放映され、某週刊誌でそれが取り上げられ、実際のアクシデントから20年近く経った頃、再び話題を呼んだこともある。全国ネットで放送されたNG特番では、「当時、睡眠時間がたった3時間ほどしか無かった」と語っている。なお、2012年12月29日にテレビで放送された、開局60周年記念特別番組「3丁目の昭和&平成スペシャル 私たちの隣にはテレビがあった」の中でも改めてこの件が紹介されており、ここでも先述のような説明を本人が行っている。
 
== 出演 ==