「梅屋 (神奈川県)」の版間の差分

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|統一金融機関コード=
|SWIFTコード=
|事業内容=[[ファッションビル]]の運営
|代表者= 濱田純一([[代表取締役]][[社長]])
|資本金= 1億3,500万円
1951年 '''株式会社梅屋''' 設立。<br />
1945年7月16-17日 平塚市は軍需工場があったため[[平塚空襲|空襲]]を受け焦土と化した。<br />
1960年代 平塚市は[[戦災復興都市計画|戦災復興土地区画整理事業]]を実施。軍需工場跡には[[日産車体]]、[[横浜ゴム]]、[[古河電気工業|古河電工]]などの工場が進出し、「湘南工業地域」と呼ばれるようになった。駅北口は、工場城下町の商店街として賑わった。<ref> 2008年3月 平塚市・都市再生整備計画資料 </ref><br /> 
1963年 梅屋百貨店 '''本館'''(地上13階・地下2階、約11,000㎡) 新築完成。 <ref> 平塚タウンニュース 2012年9月20日号) </ref> 
後にテナントビル「'''ユーユー(YouU)館'''」(地上6階・地下1階、5,600㎡)を増築。
本館とユーユー館は 6階、3階と地下で 連絡された。<br />
しかし 70年代に入ると[[藤沢市]]、[[厚木市]]など隣接地域に大型店が続々進出したため[[商圏]]は次第に小さくなっていった。
そして、市内にも、[[ラスカ]](駅ビル 1973年6月20日開店 16,724㎡)、忠実屋(紅谷町 1977年11月30日開店 後の[[ダイエー]]平塚店 8,274㎡)等が進出。小さなパイの奪い合いとなり、既存店の売上は減少していった。<br />
そして、1999年4月21日 OSC[[オリンピック (企業)|オリンピック]]湘南シティが 2倍近い広大な面積(31,120㎡)のショッピングセンターを駅の南側に建設。こされ、そこには、専門店街、飲食店街、映画館、銀行等が入居した。人の流れが変わり、とどめを刺すことになった。<br />
その結果、2005年に十字屋クロスティ、2008年に長崎屋サンショッピングセンター(8423㎡)、そして2012年9月末にはダイエーも閉店。
そんな中、梅屋は「最後まで残った百貨店」として営業を続けてきたのだ。 <br />
しかし 2012年施行された「耐震改修促進法」により 老朽化ビルの耐震が義務づけられ、梅屋は改修が必須と診断された。<br />
濱田純一社長は「百貨店としての役目は終えた」<ref> 平塚タウンニュース 2012年9月20日号 </ref>「百貨店としては全国でも小規模で、この規模の営業は私たちが国内最後だった」
「百貨店としては全国でも小規模で、この規模の営業は私たちが国内最後だった」<ref> 湘南ジャーナル9月21日 </ref>
<ref> このコメントは 中小企業には 自社で直営売場を維持していくための資金調達が困難な時代になったということを示唆している。</ref> 等と語り、「百貨店としての梅屋」の閉店を決断した。<br />
2012年8月31日 本館閉店。(従来からテナントビルだった ユーユー館は営業を続行)改修工事着工。<br />
2012年9月25日 全館をテナントビル 「'''ユーユー・ウメヤ'''(YouUU MEYA)」とリニューアルして再スタートした。<br />
これに伴い 従来の本館は「'''ユーユー本館'''」、ユーユー館は「'''ユーユー駅前館'''」と呼称が変更された。<br />
ビルの コンセプトは「デイリーな需要に対応する生活密着館。毎日使いたいリーズナブルプライス」<ref> 神奈川新聞 2012年9月15日</ref> とし、自動車を保有していない高齢者が 買い物難民にならないように配慮している。
とし、自動車を保有していない高齢者が 買い物難民にならないように配慮している。
 
== フロアガイド ==
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|}
※本館と駅前館は F6、F3と地下で連絡している。
 
== POSシステム ==
*[[POSシステム]]は、[[東芝テック|TEC]]製を使用。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
2008年3月 平塚市・都市再生整備計画資料<br />
 
神奈川新聞(2012年9月15日)、平塚タウンニュース(2012年9月20日号)、<湘南ジャーナル(9月21日) 
 
 
== 外部リンク ==
1,813

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