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|駅名 = 吹田信号場
|画像 = Suita freight terminal 20130316.jpg
|画像 =
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|画像説明 = 岸辺駅自由通路から見た吹田貨物ターミナル駅構内
|画像説明 =
|よみがな = すいた
|ローマ字 = Suita
閉鎖が決定された[[梅田貨物駅]]の機能代替の一つとして、吹田操車場の跡地を利用して設置された<ref name="JRF release 20130313"/>。
=== 概要駅施設 ===
敷地の総面積は27.2ヘクタールある。[[入換 (鉄道)|入換]]作業なしでコンテナ列車を荷役できる[[着発線荷役方式]]であ26両編成に対応している。施設は、コンテナホーム2面(北側13,300平方メートル、南側22,300平方メートル)、中継コンテナホーム1面24,400平方メートル、駅本屋(鉄筋コンクリート造り4階建て、延べ床面積1,600平方メートル)、倉庫(鉄筋コンクリート造り3階建て、8,000平方メートル)、着発線28線、荷役線5線、留置線16線(うち編成留置線4線)などを備えている<ref name = "交通20130306">交通新聞2013年3月6日</ref><!-- 着発線数などは資料によって差異あり、とりあえず交通新聞記載の値を書いておく -->。
年間地元との協定により、貨物取扱量は年間100万トン以内(、中継貨物除く)は年間45万トン以内、始発・終着列車は1日12本以内、車両編成はコンテナ貨車26両以内とし、出入りする貨物関連自動車は1日往復1,000台以内に限定する。フォークリフトは低騒音型のものを用意し、貨物専用道路(3.1キロ)も設置する<ref name = "交通20130306" />。
=== 建設の経緯 ===
{{seealso|梅田駅#JR貨物(廃止)}}
[[1987年]]、国鉄の債務返済に充てるため、梅田駅移転および旧梅田駅跡地の売却計画がスタートした。当初は、梅田駅の貨物取扱施設を吹田操車場跡地に移転させるとともに、跡地を商業用地として売却し、債務返済に充てるというものだった。
ところが計画当時の[[バブル景気]]はのちに崩壊し、地価は暴落したため梅田駅移転の意義が失われた。また、地元の吹田市や摂津市におとっては、長らく地域を分断してきた操車場が解消されて再開発可能な用地として期待されていたことに加えて、貨物駅に出入りする[[貨物自動車|トラック]]の走行による公害をが危惧する地元住民によるされたことで、移転建設反対運動が起こった<ref name = "交通20130306" />。ことから、地元の理解が得られず、ため[[1997年]]6月に、[[日本国有鉄道清算事業団]]は梅田駅の約半分の機能を吹田に移転すし、残りを大阪南部の関西本線百済駅(吹田貨物ターミナル駅開業と同時に[[百済貨物ターミナル駅]]に改称)に移転させる計画を提示した。これを受けて[[1999年]]1月、大阪府、吹田市、摂津市、[[日本鉄道建設公団]]国鉄清算事業本部(当時)、JR貨物の5者は移転計画に関する基本協定書を締結し、[[鉄道建設・運輸施設整備支援機構]]は[[2005年]]1月、吹田・摂津両市に[[環境アセスメント|環境影響評価書]]を提出し、5者は[[2006年]]2月、吹田貨物ターミナル駅建設事業の着手合意協定書を締結し、[[2007年]][[1月30日]]に起工式が挙行された。
事業主体は鉄道建設・運輸施設整備支援機構国鉄清算事業本部であり、る。梅田駅の機能の約半分が移転される。残り約半分は関西本線吹田・百済両駅([[百済貨物ターミナル駅]]に改称)を全面改修してへの移転し、両駅の完成了後に、梅田駅を更地にして処分する。吹田操車場跡地約50.2[[ヘクタール]]のうち貨物駅は27.2ヘクタールを使用し、23ヘクタールはまちづくり用地である。
2013年3月16日、同日に実施されたダイヤ改正にともない開業した<ref name="JRF release 20130313"/>。
== 脚注 ==
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{{Reflist}}
<references/>
== 関連項目 ==
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