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'''ウースチー・ナド・ラベム''' ([[チェコ語]]:'''Ústí nad Labem'''、[[ドイツ語]]:Aussig an der Elbe)は、[[チェコ]]・[[ウースチー州]]の都市。ドイツ語の読みはアウ
== 歴史 ==
ウースチー・ナド・ラベムは993年頃貿易中心地として名前が記載された。市は13世紀後半に[[ボヘミア]]王[[オタカル2世]]によってつくられた。1423年、[[神聖ローマ皇帝]][[ジギスムント (神聖ローマ皇帝)|ジギスムント]]から、
ウースチーは、1813年8月29日と30日に起きた、[[フランス第一帝政|フランス]]軍([[ドミニク・ヴァンダンム]]指揮)対[[オーストリア帝国]]・[[プロイセン王国]]連合軍の戦いの場所から遠くない。フランス軍が負け、ヴァンダンムは10,000人の兵士らと共に捕虜となった。
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