「ワクフ (イスラム)」の版間の差分

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現代日本における宗教法人の財産と同様に、オスマン帝国の制度ではワクフに指定された土地建物などの財産およびそこから発生する利益は非課税となった。これを悪用して資産家が自分の土地や財産をモスクにワクフとして寄付して、自分自身がその財産の管理者やモスクを管理するウラマーなどになって利益の大半を経費などの名目で独占していた。家族ワクフの拡大はオスマン帝国の税収を圧迫するほどにまで膨らみ、モスクの周囲にはワクフとして寄進された広大な土地が広がり、実質的にはモスク領地とも言うべき物が形成された。これによってモスクに財産が集中し、[[モスク]]の建設や維持管理に大半が費やされるようになり豪華で壮大なモスクが各地に建設されるようになった。[[オスマン帝国]]崩壊後に家族ワクフは禁止されるようになった。
 
似たような現象は[[エジプト]]の[[マムルーク朝]]でも発生した。14世紀後半より、スルターンやアミールたちは国有地や自己のイクターをワクフに指定してその利潤を自己の財産として部下の兵士たちの給与の財源などに充てた。アミールからスルターンになった[[バルクーク]]も事情は同じであり、彼はアムラーク庁(私有不動産庁)を創設して多くの私有地(中には国有地も)を自己のためのワクフとして自己の権力維持のための財源とした。バルクークの没後、わずか2代で彼の血統はスルターン位を失い、多くの私財は国家に没収されたが、ワクフからの収益の一部は依然として生き残った彼の子孫の間で分配されていた<ref>五十嵐大介『中世イスラム国家の財政と寄進』(刀水書房.2011年1月)第二部第三章「スルターンの私財とワクフ」</ref>。
 
== 脚注 ==