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'''必然性'''(ひつぜんせい、{{Lang|en|Necessity}})とは、そうなることが確実であって、それ以外ではありえないという性質を意味すことであ<ref name="iwanami">岩波 『哲学・思想事典』、p.1317-1318 『必然性』、[[高山守]] 執筆</ref>。<!--対語は[[偶然]]性。-->
 
論理的必然性、因果的必然性、道徳的必然性などがある。
<!--必然性のあり方には、-->[[自然法則]]に現象が従っている自然的必然性、道徳的法則に従うことを[[義務]]として課せられている道徳的必然性、論理法則に従って<!--与えられた-->前提から結論が導出されている[[演繹]]による論理的必然性がある。
 
日常的には「必然性の無い[[ストーリー]]」などのように使う。
 
<!--論理法則に従って前提から結論が導出されている[[演繹]]による論理的必然性、自然法則に従っている自然的必然性{{要出典}}、道徳的法則に従うことを[[義務]]として課せられている道徳的必然性、-->
(哲学的に言うと)様相概念のひとつで、[[可能性]](ありうること)、現実性(現にそうであること)と並ぶ。そして、[[偶然]]性(たまたまそうであること)と対立すると見なされている<ref name="heibon">平凡社『哲学事典』</ref><ref name="iwanami" />。
 
 
==論理的必然性==
論理的必然性とは、それ以外であることが論理的に[[矛盾]]であることである<ref name="iwanami" />。
 
[[大陸合理論]]哲学においては、[[ユークリッド幾何学]]などの数学的な諸命題が論理的必然と見なされ、こうした数学を規範として[[形而上学]]を構築しようとした<ref>注 20世紀になるとユークリッド幾何学以外に論理的整合性のある[[幾何学]]がありうることが理解されるようになり、ユークリッド幾何学は必ずしも論理的必然とは見なされなくなった。</ref>。
 
==様相論理との関係==
[[様相論理]]との関係では、「〜は必然的である」ことを示す<math>\Box</math>は必然性演算子と呼ばれ、「〜は可能である」ことを示す可能性演算子(<math>\Diamond</math>)に対する。
 
たとえば「真であることが必然的である」とは「偽であること(真でないこと)が可能ではない」と同等となり、「真であることが可能である」は「偽であることが必然的ではない」と同等となる{{要出典|date=2013年4月}}。あるいは「〜は必然的である(〜でなければならない)」とは「〜は唯一可能である(〜だけがありえる)」と同等となる。
 
[[可能世界論]]では、全ての可能世界で真であるような命題は必然的な命題といわれる{{要出典|date=2013年4月}}
 
== 因果的必然性 ==
==決定論との関係==
論理的必然性は上述のようなものであるのだが、[[因果性|因果]]的必然性というのは、原因-結果の間の必然的な関係である<ref name="iwanami" />。石は陽の光があたれば暖かくなるが、だが石は暖まりはしないとしても論理的には矛盾があるわけではない。だが、論理的矛盾が起きるわけでもないのに、陽光は石を暖める。これが因果的必然性である。
[[決定論]]との関係では、出来事のあり方は一意性を有するとする[[ラプラスの悪魔]]に代表される因果的決定論に対しては、一意性は否定されるものの定まった確率は有するとする確率的決定論がある。いずれの場合においても[[自由意志]]は否定される。
 
[[ゴットフリート・ライプニッツ|ライプニッツ]]は、命題の中でもこのような因果的必然性を示す命題を「総合命題」と分類した<ref name="iwanami" />。
 
[[デイヴィッド・ヒューム]]は因果的必然性と見なされたものに懐疑の眼を向けた。ヒュームは、原因-結果の関係があると見なされていることは、2つの事象が一定の順序で繰り返し起きることを、ある者が観察することによって、その者に生じる 単なる主観的な印象であり、よって「因果的必然性」と呼ばれているものは、蓋然性にすぎない、とした<ref name="iwanami" />。
 
18世紀には、[[ラプラス]]などが、全ての出来事のあり方は一意だとする因果的決定論を主張し、こうした見方が広まったが、これは20世紀に物理学の領域で量子力学の発展とともに否定された。
 
一意性は否定される場合は、[[確率]]に何らかの傾向があったり定まっていても決定論には分類しないのが一般的であるが、これを確率が定まっている場合は「確率的決定論」と呼ぶことが無いわけではない。
 
因果的必然性は「自然必然性」と呼ばれることもある<ref name="iwanami" />。
 
== 道徳的必然性 ==
道徳的必然性とは、あることが善であるがゆえにそれが遂行されることである。
 
== 様々な必然性 ==
[[存在]](あること)そのものが必然的であるとすれば[[神]]は「絶対的必然性」とされ、それ以外が「相対的必然性」、とされることがある<ref name="iwanami" />。
 
ひとりひとりの人が自己の《内的なあり方》(良心・理念など)に従う、という意味での必然性は「内的必然性」と呼ばれることがあるが、これはしばしば「[[自由]]」そのものである、とされる<ref name="iwanami" />。
 
== 脚注 ==
<references />
 
==関連項目==
* [[法則偶然]]
* [[自然法則]]
* [[決定論]]
* [[義務]]
* [[自由意志]]
* [[論理学]]
* [[様相論理]]
 
* [[デュナミス]]、[[エンテレケイア]]
 
* [[義務法則]]
* [[自然哲学の数学的諸原理]]
* [[付随因果性]]
* [[自然法則]]
* [[前後即因果の誤謬]]
* [[決定論]]、[[不確定性原理]]
 
* [[義務]]、[[責任]]、[[自由意志]]
* [[否定]]
* [[可能世界論]]
* [[偶然]]
* [[付随性]]
 
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