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'''谷川 浩司'''(たにがわ こうじ、[[1962年]][[4月6日]] - )は、[[棋士_(将棋)|将棋棋士]]。[[若松政和]]七段門下。[[棋士 (将棋)#棋士番号|棋士番号]]は131。[[兵庫県]][[神戸市]][[須磨区]]出身。
 
タイトル通算獲得数は[[棋戦 (将棋)#タイトル獲得記録|歴代4位]]。[[名人 (将棋)|永世名人]]('''十七世名人''')の資格<ref group="注">永世名人を襲位するのは原則として[[引退]]後である。ただし、先々代の[[大山康晴]]十五世名人と先代の[[中原誠]]十六世名人は、現役の途中で襲位している。他の永世称号まで含めても、引退後初めて襲位した例は名人陥落直後に引退・襲位した[[木村義雄]]十四世名人しかいない。</ref>を保持。
 
[[日本将棋連盟]][[日本将棋連盟#棋士会|棋士会]]会長(初代、[[2009年]]4月 - [[2011年]]3月)、[[日本将棋連盟]]専務理事([[2011年]]5月 - 2012年12月)を務め、2012年12月より日本将棋連盟会長に就任<ref Name="Renmei">[http://www.asahi.com/culture/update/1225/TKY201212250242.html 日本将棋連盟、新会長に谷川専務理事を選出] 朝日新聞 2012年12月25日閲覧</ref>。
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ちなみに、谷川の「光速の寄せ」を信用したがために、対局相手が自ら転ぶケースも時たま生じている。一例として谷川が永世名人の資格を獲得した第55期名人戦の第1局の最終盤を挙げる。羽生は72手目に△6五飛と打って谷川の馬と金に両取りをかけた。馬は羽生の玉に迫っている駒で、金は谷川の玉を守っている駒であった。それに対して谷川はほとんど時間を使わず、羽生玉の近くに▲4一銀と打った。しかし、この手は詰めろではなかった。ところが、羽生は谷川を信用して、その手が詰めろだと錯覚したため、金を取って必至をかければ勝ちになるところを、自陣を攻めている馬の方を取ってしまい、結果、谷川の逆転勝利となった。
 
デビュー直後には[[ハメ手]]として古くから知られている[[横歩取り4五角]]戦法を再発見して連採、[[森安秀光]]・[[東和男]]を36手で倒しブームを巻き起こしたことがある。
 
== エピソード・人物 ==