「薄熙来事件」の版間の差分
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2012年2月に王立軍事件が発生した翌月の2012年3月に王立軍、谷開来、徐明だけでなく、夏徳仁元大連市書記や戴玉林元丹東市書記などのかつての薄熙来の腹心が次々と身柄拘束されていった。
2012年[[8月20日]]、谷開来に英国人殺害の罪で執行猶予2年の死刑判決が、薄の生活秘書に英国人殺害の罪で懲役9年判決がそれぞれ言い渡された<ref>[http://www.asahi.com/international/update/0820/TKY201208200147.html 薄氏の妻に猶予付き死刑判決 英国人殺害 控訴せぬ意向] 朝日新聞 2012年8月20日</ref>。
2012年[[9月24日]]、王立軍に国家反逆罪、職権乱用罪、収賄罪、捜査技術違法使用罪等で懲役15年が言い渡された<ref>[http://www.asahi.com/international/update/0924/TKY201209240099.html 薄氏の元側近に懲役15年判決 中国、逃亡などの罪] 朝日新聞 2012年9月24日</ref>。
薄熙来自身は2012年2月の王立軍事件発覚後も暫くは政治的地位を保っており、3月に重慶市代表を率いて全人代に出席し、記者会見に応じている。しかし、[[3月15日]]に
また、薄熙来の兄は2012年[[4月25日]]に大企業幹部を辞任した。
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