「決闘」の版間の差分

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1385年、[[フランス]]で合法的な手続きに基づく最後の決闘が行われた。ジャン・ド・カルージュが、ル・グリが覆面をして自分の妻に乱暴をはたらいたとして決闘による裁判を申し込んだ。ル・グリは無実であると主張したが決闘を受け入れた。決闘の結果、ル・グリは敗者となって死に、ジャン・ド・カルージュの主張が認められた。しかし後になり、ジャン・ド・カルージュは覆面をした強姦魔は自分自身であったと告白した。このため、決闘裁判の正当性そのものが揺らぐことになり、この結果、フランスにおいて決闘裁判は制度的に廃止された。
 
[[イングランド]]では、1492年に、正式な裁判手続きに基づく最後の決闘裁判が行われた。同じ世紀の中ごろに、非常に珍しい決闘裁判が行われたという記述があることから、15世紀には裁判手続きのとしての決闘裁判はほとんど行われなくなっていたことがわかる。ただし、イングランドでは決闘裁判は制度としては廃止されずに19世紀までは存在し、1818年までは正式な裁判方法の1つであった。この年、殺人罪で告訴された者が決闘による裁判を選び、約300年ぶりに決闘裁判が行われることになった。しかし、この決闘は殺害された者の遺族が受諾しなかったために成立しなかった<ref>穂積重遠著『法窓夜話』三八章"決闘裁判"</ref>。この件をきっかけに、翌年、決闘は完全に非合法化された。(なお、イギリスでは、これ以前に私闘としての決闘は禁じられており、裁判としての決闘のみが合法とされていた)
 
===私闘としての決闘===
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