「美口博」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
34行目:
[[高知県立中村中学校・高等学校|高知・中村高校]]([[高校野球|甲子園]]出場歴なし)から[[1975年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1975年末のドラフト]]で[[田尾安志]]([[外野手]]、[[同志社大学体育会硬式野球部|同志社大]])に次ぐ2位指名を受け[[中日ドラゴンズ]]に入団。しかし怪我等に泣かされ、5年間一軍出場ないのまま[[1980年]]末に戦力外通告を受け、事実上現役を引退。
 
その後は[[中日新聞社]]に入社し、[[中日スポーツ]]の紙面レイアウトを担当。現役時代に出来なかったドラゴンズへの恩を、“ドラゴンズPRプロジェクト”の一員となって果たしている。時折紙面の片隅に'''「レイアウト:美口博」'''と署名されている。<!--誰がそのように思っているのかが不明。 '''「あの美口か」'''と思った同紙読者も少なからず見受けられる。-->
 
==詳細情報==