「三好宗渭」の版間の差分

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彼の人生は波乱万丈という言葉が相応しい。青年期の21歳の時に父の三好政長を一族の惣領、三好長慶に討たれ、その後、長慶に抵抗するも、長慶の和解勧告に応じ帰順。その後は長慶を支える一族武将として前線指揮官として活動し、長慶が死去すると、将軍暗殺などに関与するなど逆臣となった。織田信長の上洛に際しては抗戦するもののかなわず敗れ、動向不明となり、その後、織田信長が[[本能寺の変]]で横死すると、豊臣秀吉の家臣として再び現れ、最期は、秀吉の遺児、秀頼に誠忠を尽くし討ち死にした。その誠忠な最期から講談で有名な[[真田十勇士]]の一人・三好清海入道のモデルにされた。
 
[[Category:三好氏|まさやす]]
[[Category:戦国武将|みよしまさやす]]
{{生没年|みよしまさやす|1528年|1615年}}
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