「パレスチナ」の版間の差分

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ハマースとファタハの内部抗争は、連立政権の発足後も続いた。また、イスラエルによって立法評議会(国会)員が多数逮捕されており、立法評議会は事実上機能停止に追い込まれている。両者の内部抗争では、イスラエル・アメリカは一貫してファタハを援助しており、両者が内戦を煽っているとする批判もある<ref>[http://palestine-heiwa.org/note2/200706151156.htm ハマスとファタハの抗争と連立内閣崩壊を言う前に――意図的な連立潰し]</ref>。イギリスの『[[ガーディアン]]』紙によると、中東和平の実務者会議の中で、米国の特使は二度も「この武装衝突はいいね」と放言したという<ref>Karma NABULSI [http://www.guardian.co.uk/commentisfree/story/0,,2105483,00.html The people of Palestine must finally be allowed to determine their own fate]</ref>。
[[2007年]][[6月11日]]からの抗争は、本格的な内戦に突入。ハマースはガザ地区を武力で占拠し、ファタハはこれを「クーデター」と批判。背景には、パレスチナ自治政府治安維持相で、ハマースと敵対し、また親米派と目されていた[[ムハンマド・ダハラン]]との抗争があり、またダハラン側が先に手を出していたとする主張もある<ref>[http://www.onweb.to/palestine/siryo/pinochet-may07.html 「パレスチナのピノチェト」が動き出した?] トニー・カロン(Tony KARON)</ref>。結果、ファタハは内閣からの閣僚引き上げを宣言した。[[6月14日]]、ファタハのアッバース議長は[[非常事態宣言]]を出し、内閣の解散を宣言。[[6月15日]]、親米派の[[サラム・ファイヤド]]をハニーヤの後任の首相に指名したが、ハニーヤは解散を無効として無視した。ハマースは立法評議会の多数を握っているため、基本法(憲法)上後任の首相もハマースから任命しなければならず、アッバースの行為は[[憲法|違憲]]とする批判がある<ref>[http://electronicintifada.net/v2/article7038.shtml Whose Coup, Exactly? Virginia Tilley, The Electronic Intifada, 18 June 2007]</ref>。ファイヤドは[[6月17日]]に「非常事態内閣」として30日間の限定で組閣したが、ハニーヤは組閣は「非合法」と反発。逆にアッバース議長は、ハマースの軍事部門を非合法化する議長令を発表し、「メンバーは処罰する」方針を示した。こうしてパレスチナ自治政府は、分裂した。イスラエルや米国は、ハマースを排除したファイヤド政権を正式な交渉相手と認めた。また、イスラエルは、差し押さえを続けていた代理徴収した税のファイヤド政権への返還を表明した。[[6月20日]]、アッバース議長は「人殺しのテロリストたちとは対話はしない」と、ハマースを相手にしないことを表明した。また、1ヶ月前、ハマースによる暗殺未遂事件があったと主張した。
 
現在、ガザ地区をハマースが[[実効支配]]し、ヨルダン川西岸のみファイヤド政権の支配下にある。もちろん、イスラエルの入植者に占拠されている地域は、いずれの支配も及んでいない。[[7月2日]]、イスラエルが差し押さえていた税収の一部引き渡しを受け、ファイヤド政権は17ヶ月ぶりにハマース党員を除く公務員給与の満額支払いを発表。ガザ地区では、ファイヤド政権に従うことを条件に給与を支払うと発表した。
 
従来、欧米諸国は、経済制裁解除の条件として、早期の総選挙を要求して来た<ref>[http://www.imemc.org/article/48079 Various Arab and European countries urge P.A to go for early elections]</ref>。[[経済制裁]]による財政難は引き続き続いており、総選挙になれば自国に都合の悪い存在であるハマースの勝利はあり得ない(裏返せば、ハマースを敗北させなければ制裁を止めないと、パレスチナの有権者を脅したと言える)との読みといわれている。結果として、総選挙を経ることなくハマースの排除が実現した形となった。しかし、経済制裁を武器に、選挙により成立した政権を否定する行為に対し、民主主義の否定とする強い批判がある。