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== 略歴 ==
[[東京府]][[豊多摩郡]]中野町(現在の[[東京都]][[中野区]])生まれ。[[早稲田大学]]専門部工科機械科を卒業後、[[1947年]]東京通信工業(現:ソニー)に新卒採用1期生として入社。
 
[[1950年]]に日本最初の[[テープレコーダー]]、[[1964年]]に[[ビデオテープレコーダー]]国産第一号機やベータ方式のVTR「[[ベータマックス]]」を開発。その他にも、電子スチルカメラ「[[電子スチルビデオカメラ#黎明期|マビカ]]」などの生みの親として知られる。[[1970年]]取締役、[[1982年]]専務に就任。
 
[[1988年]]に木原の業績を記念し、木原個人とソニーの共同出資で設立された「'''株式会社ソニー木原研究所'''」の社長に就任。各種画像処理・映像処理に関する最先端技術の研究開発・商品開発を手がけた。[[2000年]]、会長に就任<ref>ソニー木原研究所は2006年6月末にソニーに吸収合併され、開発テーマと社員約70人はソニー技術開発本部に移管された。</ref>。画像・映像処理分野における先端処理技術の<ref>{{PDFlink|[http://www.field-archive.com/nobutoshikihara/archives/pdf/sony_krc.pdf ソニー木原研究開発・商品開発を手がけた。のちに長に就任社案内]}}</ref>
 
[[1990年]]に[[紫綬褒章]]を受章。
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== 主な業績 ==
* [[1949年]]([[昭和]]24年) - 日本初の磁気テープを開発
* [[1950年]](昭和25年) - 日本初の磁気テープレコーダーを開発
* [[1951年]](昭和26年) - ポータブルテープレコーダー開発
* [[1955年]](昭和30年) - 日本初のトランジスタラジオを開発
* [[1956年]](昭和31年) - トランジスタテレビを開発
* [[1962年]](昭和37年) - 世界初の放送用民生用ビデオテープレコーダーを開発
* [[1965年]](昭和40年) - 世界初の家庭用ビデオ・テープレコーダーを開発
* [[1969年]](昭和44年) - 世界初カラービデオカセットシステムを開発
* [[1975年]](昭和50年) - ベータマックスを開発
* [[1980年]](昭和55年) - 超小型ビデオムービー(8ミリ)を開発
* [[1981年]](昭和56年) - 電子スチルカメラ「マビカ」を開発
* [[1982年]](昭和57年) - カラービデオプリンター「マビグラフ」を開発
 
== 主なエピソード ==
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** 後年、井深に「お約束どおり8ミリビデオを作ることができました」と開発報告をしている。
 
== 出典主な著書 ==
* 『井深さんの夢を叶えてあげた』-ついに明かされた「ソニー」モノづくりの秘訣(経済界、2001年9月)
* 『ソニー技術の秘密』(木原信敏、[[ソニー・マガジンズ]]、1997年1月)
* 『ビデオ入門心得帖』(オーム社、1979年7月)
* 『ビデオ入門』(広済堂出版、 1977年12月)
 
== 出典・脚注 ==
* 『ソニー技術の秘密』(木原信敏、[[ソニー・マガジンズ]]、1997年1月)
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