「葵 (源氏物語)」の版間の差分

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[[桐壺帝]]が譲位し、源氏の兄の[[朱雀帝]]が即位する。[[藤壺|藤壺中宮]]の若宮が[[皇太子|東宮]]となり、源氏は東宮の後見人となる。また、[[六条御息所]]と前東宮の娘(後の[[秋好中宮]])が[[斎宮]]となった。
 
賀茂祭([[葵祭]]、[[4月 (旧暦)]]の中の酉の日)の御禊([[斎院|賀茂斎院]]が加茂川の河原で[[禊]]する)の日、源氏も供奉のため参列する。その姿を見ようと身分を隠して見物していた六条御息所の一行は、同じくその当時懐妊して体調が悪く気晴らしに見物に来ていた源氏の正妻・[[葵の上]]の一行と、見物の場所をめぐっての車争いを起こす。葵の上の一行の権勢にまかせた乱暴によって六条御息所の[[牛車]]は破損、御息所は見物人であふれる一条大路で恥をかかされてしまう。大臣の娘で元東宮妃である御息所にとってこれは耐え難い屈辱で、彼女は葵の上を深く恨んだ。役目を終え、左大臣邸に行った源氏は、事の一部始終を聞かされ驚愕。御息所の屋敷へ謝罪に向かうが、門前払いされた
 
[[勅使]]の役目を終え、久々の休日。源氏は[[紫の上|紫の君]]を伴い、賀茂祭へ。相変わらずの混雑振りに、惟光は[[牛車]]を停める場所を探すのに難儀していたが、そこへ手招きする別の[[牛車]]が。場所を譲ってくれた礼を言おうと、顔を覗き込んだら、車の主は[[源典侍]]だった。がっくりする源氏。祭を見物しながら、紫の君に「(葵の上のお産で)しばらく、[[二条院|二条東院]]には帰れない」と告げると、紫の君に「子供じゃないんだから、淋しいのくらい我慢します。ちゃんと看病して、さしあげて。」と自分を気遣う姿に、目を見張る源氏。
 
その後葵の上は、病の床についてしまう。それは六条御息所の[[生霊]]の仕業だった。源氏も苦しむ葵の上に付き添ったが、看病中に御息所の生霊を目撃してしまい愕然とする。[[8月 (旧暦)|8月]]の中ごろに葵の上は難産のすえ男子([[夕霧 (源氏物語)|夕霧]])を出産するが、数日後の秋の司召の夜に容体が急変し亡くなった。[[火葬]]と葬儀は[[8月20日 (旧暦)|8月20日]]過ぎに行われた。