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== 来歴 ==
エアンナトゥムは[[:en:Sumer#Early Dynastic_Period|シュメール初期王朝]]時代の[[ラガシュ|ラガシュ第1王朝]]で王位についた。彼はテルロー遺跡(ラガシュ王国の首都[[{{仮リンク|ギルス]]|en|Girsu}})で発見された戦勝記念碑[[ハゲワシの碑]]([[:en:Stele of the Vultures|Stele of the Vultures]])を含む一連の記念碑によって知られている。これらの記録は同時代の戦争を記述したものとして最も古いものである。
 
これらの記念碑文には彼が戦って勝利したとする国の名が列挙されている。それによればエアンナトゥムは[[エラム]]、ウルア、[[ウンマ]]、[[ウル]]、[[ウルク (メソポタミア)|ウルク]]、ウルアズなどの都市と戦って勝利を収めたという。具体的な経過については凡そ知られていない。
 
=== ラガシュ・ウンマ戦争 ===
取り分けウンマとはこの王の治世より長期にわたる戦争を繰り広げることになる。ウンマとはかつて[[キシュ]]王メシリム([[メスアンネパダ]]?)の仲介で国境が定められ、国境を示す境界石が置かれていたが、ウンマ王ウシュが境界石を破壊して侵略してきたためにこれを撃退したとラガシュの史料は伝える。ラガシュ市とウンマ市の間には'''グ・エディンナ'''と呼ばれる肥沃な平野が広がっており、この平野の帰属を巡るトラブルから戦争が発生したと考えられる(グ・エディンナは[[エデンの園]]のモデルとなったという説もあるが不詳)。
{{仮リンク|ラガシュ・ウンマ戦争|fr|Conflits entre Lagash et Umma}}
 
取り分けウンマとはこの王の治世より長期にわたる戦争を繰り広げることになる。ウンマとはかつて[[キシュ]]王メシリム([[メスアンネパダ]]?)の仲介で国境が定められ、国境を示す境界石が置かれていたが、ウンマ王ウシュが境界石を破壊して侵略してきたためにこれを撃退したとラガシュの史料は伝える。ラガシュ市とウンマ市の間には'''グ・エディンナ'''([[シュメール語]]: {{lang|sux|GU.EDEN.NA}}。「平野の境界」の意<ref>グ・エディン・ナは[[エデンの園]]のモデルとなったという説もあるが不詳</ref>)と呼ばれる肥沃な平野が広がっており、この平野の帰属を巡るトラブルから戦争が発生したと考えられる(グ・エディンナは[[エデンの園]]のモデルとなったという説もあるが不詳)
 
ウシュ王の侵攻に端を発する戦いは長期に渡ったが、エアンナトゥムはこれを撃退し、ウンマの次の王エンアカルレは国境線を元の場所に戻し、境界石を再び置く事に同意して和平を結んだという。
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彼の死後、兄弟である[[エンアンナトゥム1世]]が跡を継いだ。
 
== 脚注 ==
<references/>
 
 
[[Category:シュメール|えあんなとうむ]]