「馬場元子」の版間の差分

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兵庫の旧家で育ち、15歳の時に自宅近所でキャンプを行っていた[[読売ジャイアンツ]]投手・馬場正平と出会う。以降、アメリカに留学していた際に馬場もプロレスラーとして遠征していたことから交際が始まり、[[1966年]]に婚約。だが、その事実は一般ファンには、馬場自身が[[1982年]]に結婚生活を送っていることを公表するまで長く伏せられていた。マスコミ関係者は馬場と元子が(実質的に)結婚していることを知っていたが、一般[[週刊誌]]や[[スポーツ新聞]]などがスッパ抜くことは一切無かった。そのため馬場に対して「ライバルの[[アントニオ猪木]]が女優([[倍賞美津子]])と結婚しているのに、馬場はいい歳をして独身」という揶揄も見られた。
 
一説に、馬場が全日本プロレスを創立する際、元子の実家から資金援助があったと言われる。そのせいもあるのか、元子は全日本の遠征にも帯同していく日々であった。社員を怒鳴りつけたり、外国人レスラーの参戦選考に口出ししたり、私物の入った大きな[[ルイ・ヴィトン]]の鞄を若手レスラーに荷物持ちさせるなどの行動が、業界内外でバッシングされていた。[[上田馬之助]]はインタビューで元子(と[[新間寿]])を「でしゃばり過ぎるし、何か勘違いをしている」と公然と批判したこともあった<ref>月刊ビッグレスラー 1982年10月号P114-119『まだら狼上田馬之助のレスラーぶった斬り』([[立風書房]])</ref>
 
特に自らが経営するジャイアント・サービスを通じてグッズ販売を独占し、全日本プロレスとは別会計で自分の懐に入るようにしていたばかりか、選手にはロイヤリティすら入らなかった。ちなみにグッズ年間収入は推定約一億円。
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[[2009年]]の三沢の葬儀に参列し、公の場に久々に姿を表した。
 
== 脚注 ==
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== 著作物 ==